懐かしい映画チラシ展と映画看板展
俳優の藤田まことさんが17日76歳で亡くなった。
藤田まことさんをはじめて知ったのは昭和38年東京に赴任
したときのことだ。
「てなもんや三度笠」を寮のテレビで観て知った。
最後の場面であんかけの時次郎(藤田まこと)が、懐からクラッカーを取り出し
「俺がこんなに強いのも、当たり前田のクラッカー」のコマーシャルでクラッカーを前に
突き出すシーンが今でも記憶に残る。
当たり役だった時代劇「必殺」シリーズの中村主水役も好きだ。
昼間は役所で昼行灯、家に帰れば姑のせん、嫁のりつに頭が上がらない婿養子の主水。
夜は仕事人として、巨悪を相手に必殺の剣を振るう。
サラリーマンの欲求不満を晴らしてくれる痛快の中村主水が好きだった。
21日、日本の映画界にビッグニュースが届いた。
第60回ベルリン国際映画祭で日本から出品されていた若松孝二監督の映画
「キャタピラー」に主演した寺島しのぶ(37)さんが、最優秀女優賞を受賞した。
日本人では35年ぶり、3人目の快挙。
新潟県立図書館で「懐かしの映画チラシ展」が開催されていたので17日見てきた。
・懐かしの映画チラシ展(新潟市中央区:新潟県立図書館・2月17日)
会場には、昭和14年(1939)から昭和16年(1941)にかけて、新潟市古町で
上映された戦前の懐かしい映画チラシが展示されている。
・大竹座
・大楠公 ・今日の船出 ・宮本武蔵 ・街の唱歌隊
・新潟宝塚劇場
・望郷 ・エノケンワンワン大将 ・廣澤虎造:荒神山
・新潟映画劇場
・杉野兵曹の妻 ・エノケン弥次喜多 ・瞼の戦場 ・東遊記
・松竹館
・残菊物語 ・春の夜風
・新興
・黄金道中 ・女自雷也 ・悲運の姉妹
・東宝
・厳窟王 ・巨人コレーム ・快速部隊 ・エノケンの江戸っ子三太
などなど。
チラシに入場料が「20セン」「30セン」と今では使われない「銭」の単位が
書かれている。
これら戦前の映画館は呼び名を改称し昭和40年代ころまで営業していた。
現在残っている「映劇大要」は、
・大正8年(1919)に「丸山館」として開館
・大正13年から昭和14年まで「船江館」「富士館」「銀線館」
・昭和15年「新興映画劇場」
・戦後「サン劇場」
昭和37年から現在の「映劇大要」に改称して営業中。
・懐かしい映画看板展(新潟市中央区:新潟市民プラザ:1月17日)
新潟に今でも映画看板を描く人がいる。
新潟市東区松園の絵画専門八木デザイン・八木勝喜(65)さんだ。
八木さんからは今年1月「懐かしい映画看板展」を新潟市民プラザで開催した。
八木勝喜さんのプロフイルは、
・昭和19年新潟に生まれる
・昭和36年から昭和41年映画絵看板専門店に在籍
・昭和42年独学で得た「五原色混合絵」で映画および絵看板などの製作開始
・平成20年絵画研究所開始(五原色混合絵)
「東映スコープ 丹下佐膳」「時代劇は東映 鞍馬天狗」などの大きな看板とミニ看板
千両獅子・紅孔雀・弁天小僧・反逆児・用心棒・青い山脈・ママ新婚旅行・ひばりのた
けくらべ・アチヤコ青春手帳などなどが飾られている。
懐かしい往年のスター、市川右太衛門・勝新太郎・美空ひばり・原節子・山田五十鈴・
山本富士子・東千代之助・大川橋蔵・鶴田浩二・大友柳太郎・山本富士子などの顔が。
戦前の懐かしい映画チラシを見ていると、映画タイトルから当時の世相が伝わってくる。
終戦直後の昭和21年、兄に連れられて「エノケンのちゃっきり金太」の映画を観た記憶が
甦った。
戦前の懐かしい映画チラシが (イラストを模写)