旧中之島町の史跡めぐりで街を歩く

kanazu362012-11-25

中之島郷土史研究会が、長岡市中之島地域にある歴史スポット
9カ所をたどる「中之島史跡めぐり」を主催したので11月10日
見学してきた。
各会場で、は郷土史研究会の人たちが見学者へのガイド役を
務め、史跡の案内と説明をしていた。
・大竹邸記念館(中之島長岡市指定文化財
 郷土が生んだ偉大な政治家、憲政の神様として慕われている大竹貫一の生家が、「大竹邸記念館」として庭園とともに一般に公開されている。
 大竹貫一は、中之島大庄屋大竹家31代の6男として西暦1860年に生まれた。
 明治27年衆議院議員初当選以来在職34年10カ月におよび、30年以上勤続の功労者として表彰を受けた。
 この間、道路の改良や治水・利水事業に力を注ぎ、刈谷田川改修や大河津分水路などの実現に尽力した。
 生家は遺徳を顕彰する大竹邸記念館として整備され、遺品・記念品等が陳列されている。
・与茂七地蔵尊中之島長岡市指定史跡文化財
 宝永元年(1704)から同2年に起きた一連の農民騒動で捕らわれ、無実のまま極刑された義民大竹与茂七(1675〜1713年)を祀る地蔵尊
 与茂七は、「今はよしあらぬ濡れぎぬ身に負えど清き心は知る人ぞ知る」と辞世の句を読んで刑場の露と消えた。
 今なお、その遺徳を偲ぶ人々が多く、近くには墓碑とともに鎮魂の碑も建てられている。
・杉之森薬師堂(杉之森:新潟県指定有形文化財
 本尊薬師如来は、本来は寅年しか開帳しないが今回特別に公開された。
 本尊薬師如来神亀3年(726)、行基菩薩北陸巡錫の際の作で、波羅門僧正の開眼と伝えられる。
 身丈5尺(約1.5m)、檜の寄せ木造りの座像で、寅年ごとに開扉する以外は秘仏である。
 本尊の両側に安置してある十二神将も、神亀年間の作と伝えられる。
 昭和61年、大修理を終え風格ある仏像に生まれかわった。
・高橋竹之介展示館(杉之森)
 1842〜1909年、幕末から明治時代の尊攘(そんじょう)運動家。
 天保13年生まれで、江戸で塩谷宕陰、古賀茶渓に学ぶ。
 戊辰戦争の際、郷里越後で松田秀次郎らと方義隊(のち居之隊)を結成、新政府軍を先導した。
 明治2年東京遷都に反対して投獄されるが、出獄後は長岡の殿町に誠意塾を開き子弟の教育にあたった。
 また、明治政府に「北越治水策」を論じ、大河津分水の実現に大きな影響を与えた。
・稲島稲荷神社(稲島)
 稲島稲荷社は、江戸時代に豊川稲荷より分霊したと伝えられている。
 古くから商いの神様として信仰をあつめており、氏子8軒で守られている。
 商売繁盛、病気治癒にご利益があるとされ、ご神木の「さいかちの木」は神経痛、リウマチによく効くとされている。
 月例祭は24日、大祭は4月24日と8月24日に行われ、「カタモチの天ぷら」は稲荷様の使者狐の好物として知られ、お神酒と一緒に参拝客に振舞われる。
・中村震太郎記念館(中之島中条)
 医学を志したが、それと異なる軍人の道を歩んだ。
 中村震太郎は、昭和6年陸軍参謀本部の命令を受けて満州に渡り、視察中、奉天興安屯軍に処刑された。
 この事件が満州事変の発端となった。
 当時、「護国の神」として全国民に仰がれた。
・雙(そう)林寺(下沼新田)
 旧中之島町下沼新田にある雙林寺は真宗大谷派の寺院。
 雙林寺では、数多くの仏像や秘蔵の絵画を所蔵する。
 今回は所蔵品の中から蓮如上人の生涯を描いた「蓮如上人御一代縁起絵」、地獄と極楽の様子を表現した「地獄・極楽四幅絵伝」などの巨大絵を本堂に約30点を展示した。
・入澤記念庭園(中之島西野)
 旧中之島町西野にある、入沢記念庭園は入沢家の生家跡を記念庭園にした。
 中之島町西野は、入沢一族と池田謙斎生誕の地。
 入沢一族は、日本の医学界のために大きな功績を残した医の名門。
 入澤恭平は、戊辰戦争では新政府軍の軍医として奥羽まで従軍。
 池田謙斎(入沢圭助、津和野藩の池田玄仲の養子になる)は、明治天皇の侍医となり、日本初の医学博士となった人物。 
 その甥の入沢達吉は、東京帝大(現東京大学)の医学部長となり、大正天皇の待医頭を務め、一族で歴代天皇の侍医を務めた。
・両田兵吾展(西高山新田)
 旧中之島町西高山新の両田兵吾は五色軍談の芸能人として、蒲原、古志、三島地域を中心に五色軍談(チョンガリ)を語った。
中之島町の史跡めぐりで中之島を訪ね、明治から昭和初期にかけて、日本を動かした偉人が何人も中之島にいたことを初めて知った。
史跡めぐりで多くの偉人を知る (イラストを模写)