越後毛利の山城2城に登る

kanazu362013-05-15

昨5月14日沖縄地方が梅雨入りした。
町内の里山クラブでは毎月1回日帰りで新潟県内の山に登る。
5月は関川村の朴坂山(438m)だった。
6月は柏崎市北条地区にある越後北条毛利氏の山城である
北条城址に登ることになった。
妻が柏崎出身で小学校時代に遠足で北条城址に登ったことがあり下見を頼まれた。
5月13日夫婦で越後毛利の山城2城(北条城址・安田城址)を下見のため登った。
・越後毛利の北条氏と安田氏
 毛利時元の祖父である毛利季光は、大江広元の子であるが、宝治元年(1247)の三浦の乱で三浦泰村に味方し敗北を喫し、一族共々滅びる危機に立たされたが、名族大江氏の末裔であることもあり季光の子の毛利経光が助命され、越後の所領の領有を許された。
  時元の子の毛利経高の代に越後毛利氏は分裂し越後北条氏と越後安田氏とった。
 ・北条城址柏崎市北条・城山:169.5m)
  JR北条駅の待合室に「北条毛利いにしえロード“北条城址(城山169.5m)”」と書かれた案内板がある。
  山頂には北条駅・専称寺(毛利氏菩提寺)・大手道経由で、約40分で着く。
  築城時期は不明だが毛利時元によって築城されたとされる。
  室町から戦国時代にかけて、北条毛利氏が築いた山城である。
  ここは、鯖石川と支流の長鳥川に囲まれた標高140m地点にある。
  御館の乱において、上杉景虎方の主将であった城主・毛利丹後守景広は天正7年(1579)2月、府中で戦死し、この城も開城した。
  城跡の背後、つまり北側は、標高150mから180mの山並みが曽地峠へと約10キロ続いている。
  城郭は、北郭・主郭・二の郭・三の郭がある。
  主郭は低い段差で5段になっている。
  遺構は郭・土塁・物見・堀切・竪堀・大手門・搦手門などが点在している。 
 ・安田城址柏崎市城之組・城山:比高約30m)
  山頂には城之組集落・安田城址入口の坂道(王坂)・児童公園経由で、約20分で着く。
  安田城は、新潟県柏崎市(かつての越後国刈羽郡)にあった城。
  築城年は不明だが、歴代の城主である安田氏は、鯖石川を挟んだ所にある北条城の北条家から分家独立し鵜川庄安田城に移っている事から、安田氏初代当主の安田憲朝が築城したと思われる。
  安田氏もまた、越後毛利(北条)や安芸毛利と同族である。
  慶長3年(1598)の上杉氏の会津への移封時に廃城となった。
  遺構は郭・土塁・虎口・堀などが点在している。
  現在も主郭(本丸)部分がほぼ原形の地形のままとなっており、二の郭の広場は現在児童公園となっている。
  本丸には上杉家16代目当主である上杉隆憲氏が揮毫した「安田城址」と書かれた石建つ。
柏崎市に戦国武将上杉謙信ゆかりの城址2山城があり、地元では城山と呼んでいる。
北条と安田の城山に登り戦国時代の武将の往時を偲んだ。
下見で城山に登る (イラストを模写)