凧合戦の凧のPR展示とのぼり旗祭り

kanazu362013-06-03

ことしも凧合戦の季節がやってきた。
新潟県下のトップを切って6月1・2日の両日「三条凧合戦」が、
6月6日からは「白根大凧合戦」が始まる。
凧合戦をPRしょうとJR燕駅としろね大凧と歴史の館に六角凧や
巻凧の縮小版が展示されていたので6月2日見てきた。
・凧合戦と凧のPR展示
 ・三条凧合戦の六角凧(三条市:JR燕三条駅)
  360年以上の歴史を持つ越後名物六角凧合戦が、上須頃の三条・燕総合グランドで6月2日始まった。
  三条では「凧」と書いて「いか」と読ませ、三条凧合戦を地元では「いか合戦」と呼ぶ。
  合戦に使う六角巻凧は三条が発祥地といわれている。
  凧合戦は、江戸時代の初めの1649年(慶安2)、村上藩の陣屋が三条にあったころ、武士の子たちが凧を揚げているのを見て鍛冶屋の子供たちも揚げたのが始まり。
  この武士と町人の子供たちの「凧の争い」が、大人たちの争いに変わり、次第に凧も大きくなって町内ごとに凧組みを作って争うようになった。
  三条凧合戦をPRするためJR燕三条駅の新幹線改札内のコンコースに天井に届く高さ4mの巨大サイズの迫力ある六角凧が約20枚飾られている。
  凧絵は、武者や歌舞伎役者や風神や天狗や金太郎などなど。
 ・白根凧合戦の巻凧(新潟市南区:しろね大凧と歴史の館)
  今年も白根凧合戦が6月6日から開催される。
  白根大凧合戦は、300年の伝統を誇る中ノ口川を挟み大空で、白根(東軍)と味方(西軍)の大凧が絡み合い引き落とす大凧合戦。
  合戦に使用される凧は「大凧」と「巻凧」の2種類。
  大凧は縦7メートル、横5メートルの畳24畳大で、合戦凧としては世界最大級である。
  上空で絡めた凧を中ノ口川に引き落とし引き合って相手の綱を切り勝負を決める。
  勝敗の分かれ目は引き合う本綱の強さ、綱の強さが勝負を左右する。
  凧合戦の由来は、江戸時代の中頃、白根町の人が中ノ口川の堤防の改修工事の完成を祝って藩主から送られた凧を揚げたところ、対岸の西白根に落ち、家や農作物を荒らしました。
  これを怒った西白根の人が対抗して凧を揚げて、白根側にたたきつけたことから凧合戦が始まったと伝えられている。
  明治44年(1911)6月6日、高田歩兵第58連隊付オーストリア武官・レルヒ少佐が第13師団長・長岡外史と共に凧見物に訪れた際、「日本古来の武士道的合戦」と絶賛し、同年7月に優勝旗を寄贈した。
  しろね大凧と歴史の館に白根大凧合戦をPRするため、大凧合戦に参加する巻凧組45組の巻凧は、凧が展示されている。
  同館では、普段紹介される機会が少ない巻凧も多くの人に知ってもらおうと企画した。
  本番で使用される巻凧は、3.5畳ほどの大きさだが展示されている凧は、縦約70センチ・横約55センチの縮小版で、武者や歌舞伎役者や風神や企業のロゴマークなどが描かれている。
・のぼり旗祭り(五泉市村松・商店街)
 今年も6月1日から5日までの間「のぼり旗祭り」が開催されている。
 イベントが行われた6月2日は、村松商店街アーケード通りが車両通子禁止で歩行者天国となり多くの人で賑わった。
 旧村松町は、江戸時代初期より堀家3万石の城下町として栄えた。
 村松には、城跡と地名による城下町の名残とともに「幅旗」というものがある。
 端午の節句に、城下町にだけ許された風習で、幅旗を掲げて子供の成長と願った。
 城下町独特の、のぼり旗を掲げる伝統を受け継ごうと「のぼり旗祭り実行委員会」が、平成15年(2003)に上町商店街で商店街活性化のために数本ののぼり旗が掲げられたのを機に、村松地区の4商店街全体に拡大し、今では子供の健やかな成長を願うイベントとして定着し初夏の風物詩となっている。
 のぼり旗は、6mから9mで戦国武将の加藤清正や太閤秀吉や川中島の合戦に混じり堀家の家紋などが描かれた約70本ののぼり旗が初夏の風を受けなびく。
新潟の夏は、凧合戦とのぼり旗祭りから始まる。
大凧が大空を舞う (イラストを模写)