良寛ゆかりの地に勤務し良寛の里を訪ねる

kanazu362006-06-07

良寛さんを知ったのは、子供のとき読んだ
「たけのこの話」や「かくれんぼの話」の絵本からだ。
良寛さんが好きでこれまで4枚のイラストを描いた。
良寛ゆかりの地に勤務した時、良寛の里を訪ねた。
良寛(1758〜1831)の生涯を本で調べた。
・父の生地 与板町
 父以南は、新潟県三島郡与板町(現長岡市)で生まれ、
 出雲崎町の名主橘屋山本家に婿入りした。
良寛の出生地 出雲崎町
 良寛は、新潟県三島郡出雲崎町で、1758年名主橘屋の長男
 として出生、幼名は栄蔵。
 18歳のとき光照寺で髪を切り出家。曹洞宗光照寺に入り良寛と改名。
 22歳のとき、玉島(現倉敷市)の円通寺から禅の教えに来ていた
 国仙和尚に従って得度し正式な僧となった。
 円通寺で約10年修行。その後諸国を行脚し、39歳のとき越後に戻った。
・流浪の地 寺泊町
 越後の戻った後は、新潟県三島郡寺泊町(現長岡市)の郷本の空庵・
 照明寺蜜蔵院・西生寺等を渡り歩く流浪の生活を送る。
・安住の地 分水町
 新潟県西蒲原郡分水町(現燕市)国上寺の五合庵で48歳から
 59歳まで、その後国上寺の乙子神社草庵で約10年を送る。
 国上寺で約20年を過ごした。国上寺に定住し、座禅・読者・托鉢と
 人生で最も充実した日々を送った。
 有名な五合庵の言われは、国上寺の万元和尚が、国上寺の住職
 良長僧都から毎日米五合を給されたことから付けられた名前だと。
良寛終焉の地 和島村
 文政9年(1826)69歳の初冬国上寺を下り、
 新潟県三島郡和島村(現長岡市)の木村家の離れの庵室に移り
 天保2年(1831)1月6日に死去した。
 木村家での生活は、約4年半であった。
良寛ゆかりの地、与板町・出雲崎町寺泊町・分水町・和島村は、
隣接する町村である。
良寛ゆかりの地を訪ね、良寛さんの生き方を学び、心を癒されては。
良寛さん童とかくれんぼ (イラストを模写)