高田の川渡りもちと伊勢の赤福

kanazu362006-12-02

久しぶりに故郷高田(現上越市)に帰った。
山並みの雲の切れ間から、妙高山が白く薄化粧している姿が
車窓から見えた。
菓子屋の軒先の、「川渡りもち」と書かれた桃太郎旗が、
風に揺れている。
今日は、11月30日。
懐かしい旗の文字に、12月1日の朝「川渡りもち」を売りに来る子どもの姿を思い出した。
頚城風物誌(昭和52年11月1日発行)には、
カワタリモチは、毎年12月1日の未明、高田・直江津の少年たちがふれ売りして歩いた。
川渡餅を売って歩けば、からだがじょうぶになると、親も子も信じていた。
「カーワタリモチ、ヨーイ!」「カーワタリモチ、ヨーイ!」
早暁、霜に顔をほてらした少年たちの元気のいい呼び声で目をさますと、
その日から師走ー12月であった。
川渡餅は、餅に餡をつけたアンコロモチであり、上杉謙信千曲川を渡って川中島
攻め入った時、茶店にあった餅を買って兵士たちに食べさせたのが12月1日であった。
兵卒の士気おおいに上がり、川中島の合戦は大勝であったという付録まである。
ところで、当月は、「弟児(おとこ)月」または、「乙子(おとこ)月」と呼ばれ、
その初日に昔から朝餅をついて食べる習慣が全国的におこなわれていた。
江戸では、これを「川渡餅」と称し、水難防除の民間信仰としておこなっていた。
このようなことが、郷土の英雄・謙信の故事と結びつぃたのであろうか。
今日なお、この習慣が盛んに続けられているのは珍しい。
川渡餅は、戦中戦後の主食難の統制時代をさかいに、一時とだえたが、その後ふたたび
復活した。
しかい、往時のふり売りは姿を消して、もっぱら店頭売りに変わった。
と書かれている。
近所の人から、伊勢詣りに行って来たと土産に伊勢名物の「赤福」をいただいた。
高田の川渡りもちも伊勢の赤福もアンコロモチだ。
川渡りもちは、餅全体があんこに包まれている。
赤福は、餅の上にあんこがのせられたもので餅の白い肌が一部見える。
偶然か、12月1日の川渡りもちの日に伊勢の赤福が食べられるとは・・・・
食べているとどこからか、
「カーワタリモチ、ヨーイ!」「カーワタリモチ、ヨーイ!」
の懐かしい子どもの売り声が、聞こえてくるようだ。
高田地域の小・中学校では、川渡りもちは学校給食のメニューにもなっていると
新聞に出ていた。
川渡りもち売りだよ (イラストを模写)