廃線となった鉄道の思い出

kanazu362009-02-07

地方紙新潟日報に「にいがた廃線浪漫:越後交通長岡線
が掲載されていた。
懐かしい名前だ。
新潟県廃線を歩く(新潟日報事業社刊)が発売されている。
本には、蒲原鉄道新潟交通電車線国鉄赤谷線など新潟県内7路線の廃線跡
当時の様子と現在の姿を織り交ぜて紹介している。
42年間の勤務で新潟県内の多くの市町村に勤務した。
記憶をたどると廃線となった懐かしい鉄道の思い出が甦る。
・頚城鉄道
 地元では頚城鉄道のことを「○(まる)K(け)」と呼ぶ。
 ふるさと高田の近くに頚城鉄道の小さな電車が走っていた。
 新潟県の頚城平野を走る電車で、JR信越本線黒井駅前の新黒井より東頚城郡の入口、
 浦川原までの軽便鉄道で距離は15km。
 昭和38年ふるさと高田に勤務していたときに一度乗った。
 新黒井駅を出ると北四ツ屋・百間町・鵜之木・明治村・花ケ崎・大池・飯室・下保倉と
 走り終点の浦川原駅に着く。
 東頸城地方の人口の減少と自動車の発達で昭和46年(1971)4月に廃止された。
新潟交通電車線新潟交通
 旧新潟県庁前(現新潟市役所)から燕市までの全長36.1kmに新潟交通電車線
 走っていた。
 県庁前駅から東関屋駅までは、車の通る白山通りを走っていた。
 ・東関屋駅から県庁前駅
  新潟の有明台の官舎に住んでいた昭和47年、東関屋駅から県庁前まで電車やバスに
  乗って通勤した。
  その電車も平成4年(1992)3月20日に廃止となった。
 ・白根駅から東関屋駅
  平成9年、五泉に勤務していたとき車で新潟から五泉に通った。
  仕事で酒が入ると白根駅から終点の東関屋駅まで電車に乗った。
  白根駅を出ると味方・味方中学前・吉江・七穂・板井・木場・新大野・黒埼中学前・
  越後大野・焼鮒・ときめき・寺地・平島・東青山と走り終点の東関屋駅に着く。
  その電車も平成11年(1999)4月5日に廃止となった。
  思い出のかぼちゃ電車は、今も月潟駅の構内に保存されている。
越後交通長岡線長岡鉄道越後交通
 越後交通長岡線長岡鉄道は、来迎寺駅から西長岡・越後関原・脇野町・与板・大河津
 と走り終点寺泊駅までの39.2kmを走っていた。
 昭和47年(1972)4月16日 来迎寺・西長岡間廃止
 昭和48年(1973)4月16日 大河津・寺泊間廃止
 昭和50年(1975)4月1日 越後関原・大河津間廃止
 与板に勤務したのは昭和54年3月から57年3月までの3年間だった。
 赴任したときは既に越後交通長岡線長岡鉄道廃線となっていた。
 しかし、官舎の裏にまだ線路がそのまま残っていた。
 その線路跡の徳昌寺から井伊神社までの約500mが、散策路として整備され、
 徳昌寺前と豪商の別荘だった「楽山苑」の前に足元灯が設置された。
 足元灯の点灯式が1月25日の行われたと聞き、2月2日見て来た。
 懐かしい線路道、新しくなった散策路を徳昌寺から井伊神社まで歩いた。
 少し足を伸ばすと官舎がある。
 官舎は既に取り壊され保育園となっており昔の面影はなかった。
蒲原鉄道
 蒲原鉄道線は、かつて蒲原鉄道が運営していた。
 加茂市の加茂駅から中蒲原郡村松町(現・五泉市)を経由して五泉市五泉駅までの
 全長約21.9kmを走っていた。
 昭和60年(1985)4月1日加茂・村松間廃止
 平成11年(1999)10月4日村松五泉間廃止
 五泉に勤務したのは平成3年3月から6年3月までの3年間だった。
 平成3年の4月、村松公園の花見見物で五泉駅から村松駅まで電車に乗った。
 五泉駅を出ると今泉を経て終点の村松駅に着く、わずか4.2キロのミニ路線。
 電車は、今も村松駅跡の敷地内で保存されている。
「にいがた廃線浪漫」という記事が、遠い昔の懐かしい思い出を甦らせてくれた。

この道に昔は電車が (イラストを模写)