米百俵と越後三根山藩

kanazu362006-04-07

米百俵」の精神は、平成13年5月7日
小泉首相所信表明演説の中で取り上げられた
ことから全国に知られるようになった。
越後三根山藩のことを知る人は少ない。
三根山藩は、越後長岡藩主牧野忠成の四男定成が
寛永11年(1634年)に6000石で分地分家
したことに始まる。
幕末本家長岡藩の後ろ盾もあり大名(1万1000石)となった。
長岡藩は幕末の戊辰北越戦争で官軍と戦い、城下は焼け野原となった。
分家三根山藩は、この窮状を見かね明治3年(1870年)春
本家長岡藩に米百俵を贈った。
長岡藩大参事小林虎三郎は、「長岡の復興は時代を担う
人材の育成にある」と考え、反対派を説得し米百俵を売却した。
その代金で国漢学校を創設し人材育成に尽力した。
国漢学校からは、多くの人材が育ち後世に名を残す人を輩出した。
連合艦隊司令官山本五十六も国漢学校出身である。
現在、米百俵賞が創設され、人材育成に著しい功績をあげた個人
又は、団体を表彰している。
今年の第10回受賞者は、カンボジア難民の子どもたちの育成と
教育支援を行っている、後藤文雄(東京都)さんが選ばれた。
米百俵の精神は (イラストを模写)