転がっている原石を拾いダイヤに磨くのが監督
サッカーワールドカップドイツ大会は、
日本が1分け2敗の成績で予選リーグを敗退した。
イエローカード累積で主将宮本恒靖選手の代役で
ブラジル戦でワールドカップのピッチに立った男がいた。
坪井慶介選手だ。
坪井は、オーストラリア戦でもスターテングメンバーとして
ピッチに立ったが、怪我で途中交代した。
新聞やインターネットで坪井慶介選手のプロフィールを見た。
「スピードのある守備と反則の少ないクリーンなプレーが持ち味」と。
高校時代は無名の3軍の選手だったという。
サッカーの名門三重県立四日市中央工業高校時代は、3軍からのスタートだった。
グランドでの練習は1軍が中心。
3軍の練習場は、ゴール裏の狭いスペースだ。
選手が多く、ボールをける順番もなかなか回ってこなかった。
全体練習が終わった後、個人練習でもくもくと技を磨き続け、ついに
レギュラーの座を獲得した。
福岡大学の恩師乾真寛監督は、「日本代表なんてとても無理だと思っていた」
しかし、坪井には「自分は下手だからという」気持ちと、
「うまくなったな」と褒めても「うまい選手はほかにもいる」と謙虚な
姿で技に磨きを懸けていたと。
成果は、2001年のユニバーシアード北京大会優勝、2002年の
Jリーグ新人王という形で実を結んだ。
坪井選手の活躍に乾監督は、「ダイヤの原石はどこにでも転がっている。
それを指導者に教えてくれたのが坪井選手だ」と。
転がっている原石を拾い、それをダイヤに磨くのが監督。
原石は監督が磨くだけではだめだ。
磨かれた選手が、自らダイヤのような美しい光を放つ努力を。
美しい光を放つか放さないかは選手自身の責任だ。
ちびっこすもう大会ダイヤの原石かも (写真を模写)