与板高校から与板正徳館そして正徳館高校

kanazu362006-07-21

与板高校が平成19年3月31日で
閉校になることを新聞で知った。
昭和54年から58年の3年間与板町に勤務した。
娘は、与板小学校を卒業した。
与板高校校史には、
S17.11.17 与板実科高等女子学校として開校
S23.4.1   与板高校
S24.4.1   寺泊町定時制課程として寺泊分校を開校
S61.4.1   寺泊分校が独立寺泊高校
H17.4.1   与板高校と寺泊高校が統合し正徳館高校
H19.3.31  与板高校閉校
とある。
与板町と与板高校が燃えたのは、1980(昭和55)年7月30日だった。
高校野球県大会で甲子園を目指し、与板高校と新発田農業高校が決勝戦で対戦した。
結果は、2:5で惜しくも破れ、準優勝だった。
休暇をとりテレビで観戦した。
優勝パレードも計画されたが夢と消えた。
与板高校としての最後の夏は、与板・正徳館高校として登場した。
チームは、3年生が与板高校、1・2生が正徳館高校の変則チームである。
1回戦で川西高校を3:2で破りグランドで最後の校歌を聞いた。
20日の2回戦では、県央工業高校に1:11と大敗した。
与板高校野球部の名は、球史から姿が消すが、その伝統は正徳館高校が引き継ぐ。
「2万石でも橘城は、・・・・」と与板囃子に歌われる与板町は、
彦根藩井伊家(滋賀県)35万石の分家である。
あぁ校名がない (イラストを模写)