小雨に映える護摩堂山のアジサイ

kanazu362007-07-05

カラフルな色に輝くアジサイの写真が紙面を飾る。
3日は朝から小雨が降る。
予報では午後から晴れ。
田上町護摩堂山に登り「あじさいまつり」で賑わうあじさい園を
散策した。
山の斜面は、雨に濡れた色取り取りのアジサイの花で映える。
護摩城址
 山頂には、護摩城址の石碑が建ち広場もある。
 案内板には、応徳年間(平安時代1080年代)羽生田防府豊吉が
 築城、その後、奥州安倍貞任の残党黒鳥兵衛に攻められ落城。
 元徳2年(1330)源義光の子平賀盛義が再度築城、平賀京之進盛政、
 十坂対馬守、宮嶋将監の居城を経て天正年間まで三条城将山吉の持城。
 天正6年(1578)甘粕景継(後の長重)が三条城将となり慶長3年まで
 城主であった。
護摩堂山のアジサイの由来
 昭和40年代の後半、田上町在住の長谷川誠吾氏が、護摩堂山の整備を
 町から委託された。
 護摩堂山をアジサイの観光名所にと山にアジサイを移植した。
 苦労する姿が、地方紙新潟日報に掲載された。
 この記事を読んだ、鎌倉市在住の佐藤秀三郎氏(田上町出身・1936年
 ベルリンオリンピック・マラソンコーチ)が感激、鎌倉明月院アジサイ
 魅せられ苗木700株を田上町へ寄贈した。
 これを契機に田上町護摩堂山のアジサイの移植に取り組み立派な
 「あじさい公園」に整備された。
狭いトンネルを抜けると護摩堂山登山道入り口駐車場に着く。
案内板には、標高274m、山頂まで1800m、徒歩約40分。
NO1 10:00出発小雨が降る。山頂まで1800m、谷砦跡通過。
NO2 10:06山頂まで1500m、空堀跡通過。
NO3 10:13山頂まで1200m、田上小学校林、豪農両田巻家から
     寄贈され昭和29年山に杉苗1000本を植林。
NO4 10:23山頂まで900m、紫式部の花や虎の尾等の花が咲く。
NO5 10:30山頂まで600m、護摩城址の説明板と東屋がある。
NO6 10:40山頂まで300m、空堀跡。
NO7 10:42分岐点到着。右東側遊歩道、左西側遊歩道、西側から
     山頂を目指す。(東側の登山道ではアジサイは、ほとんど見られない)
NO9 10:46山頂まで200m、田上町名木「越の彼岸桜」、
     大山祇神社の石碑、護摩城址の説明板。
11:00 山頂到着、山頂広場には護摩城址の石碑が建ち蔵屋敷跡がある。
      東屋が建ち、晴れていれば田上の町や遠くの越後の山々が眺望できる。
眼下は、霧に覆われ田上の町も山並みも眺望できない。
11:25下山開始、右東側遊歩道経由で分岐点へ。
12:00駐車場着
入り口の案内板に50m下り東龍寺。坂道を下り東龍寺に参拝。
東龍寺の沿革によれば、曹洞宗の寺院で弘仁5年(814)あるいは、
天長5年(828)に開創された。
護摩堂城主平賀氏や越後田上の豪農田巻家の絶大なる外護を受け、江戸時代
末期から昭和初期にかけて寺は興隆した。
登山道入り口の茶屋には、「癒(いや)しのふるさと護摩堂山」案内図の
パンフレットが置かれている。
山は色取り取りのアザサイの花に(イラストを模写)