地震被災地の柏崎の実家を見舞い被害を知る

kanazu362007-07-19

地震から3日目の18日地震被災地の柏崎に入り、
実家などを見舞い被害を知る。
柏崎には、妻の生家と親戚が5軒ある。
16日の地震発生から電話は通じず、安否や被害状況は
分からない。
16日夕方、実家からメールで一言。
「兄弟一人けがあとは無事」と。
メールを見た妻が「すぐに柏崎に様子を見に行きたい」と。
経験から被災地は、家屋被害や交通渋滞で混乱しているので
2・3日待てと足止めした。
17日午後11時過ぎ実家から電話があった。
「電気がついた。藤井の弟は倒れたタンスで腰を打ち打撲。家の中は
タンスや仏壇などが倒れ散乱しているが心配ない」「高速道小千谷IC
を下り国道291号線小国経由ならば柏崎には入れる」と。
18日の新聞を見た。
・国道8号線は大積で交通止め・高速道路は米山ICと柿崎IC間で交通止め
・一般車は高速道路柏崎ICから出ることはできない
国道116号線は、交通止めや交通規制は無い。
新潟方面から柏崎へは116号経由で行けるが交通渋滞が心配。
急がば回れ」のことわざがある。
高速道小千谷IC・国道291号線小国経由で柏崎に行くことにした。
新潟を7時40分に出発した。
交通渋滞もなく9時20分に安田の実家に着いた。
妻は、元気な母(82)の姿を見て安心した。
家が少し傾き家の中はタンスやテレビや仏壇が倒れ足の踏み場も無い。
義母は、「畑に行っており命拾いした」と。
母の部屋は、テレビが中央に飛びタンスが倒れ足の踏み場も無い。
部屋におれば下敷きになっていた。
トイレは、用水路の水をくみ利用していた。
余震を恐れ夜は車庫で寝ている。
近くの畔屋と藤井の親戚も訪ねた。
道中、あちこちで家屋が倒壊している。
屋根には青いシートをかぶった家が点々と。
妻は倒れている家を見ると「涙が出る」と。
藤井では一人、家の下敷きになり死亡している。
藤井の従兄弟が、倒れたタンスで腰を打ち病院で治療を受けた。
電気もガスも水道も使えないので近くの避難所で生活していた。
2階はだめだが電気やガスや水道が使えるようになれば家に戻ると。
「災害は忘れた頃にやってくる」というが忘れるどころか3年も
経たないうちにやって来た。
「どうして柏崎ばかりが被害に遭うのだろう」と。
中越地震は、2004年10月23日に発生している。
帰りは、国道116号線経由で帰ることにした。
柏崎市内の道路は所々に亀裂や地割れや陥没がある。
国道の道路脇の家屋も倒壊している。
国道8号線と国道116号線が交差する長崎三差路過ぎると渋滞は無くなった。
和島の道の駅で休憩した。
県外から見舞いに来たという何組かの人にあった。
道の駅は、県外ナンバーの車が多く止まっている。
皆、親戚の安否や被害の状況を知るために来たのだろう。
テレビからは、「余震がありました」と地震情報が流れる。
電気がついた (イラストを模写)