夏休み自由研究の思い出“石油産業発祥の地”

kanazu362007-09-06

9月3日の夕刊に「笑顔真っ黒県内小中学校で
始業式」と。
夏休みが終わった。
夏休の宿題に自由研究がある。
自由研究で娘と出雲崎の石油会館を訪れ「石油のこと」を調べた思い出が。
娘が小学6年の昭和56年(1981)は、与板町に勤務していた。
当日の日記を開いた。
昭和56年7月25日(土)晴れ
今日から夏休み、自由研究で「石油のこと」を調べるため出雲崎の石油会館へ。
帰りに尼瀬石油に寄り記念に原油をビンに詰めてもらった。
あれから26年、思い出の出雲崎町の「石油産業発祥の地記念公園」を8月30日
訪ねた。
・日本の石油のはじまり
 「日本書紀」には、天智7年(668)越の国(現新潟県)から「もえる水」
 「もえる土」が近江大津宮に献土されたとあり、これが我が国最初の石油に
 ついての記録。
 石油が自然湧出の利用から生業としての採取時代を経て企業化されたのは明治期に
 入ってから。
 明治4年(1871)、旧彦根藩士の石坂周造が長野県善光寺付近で綱式掘削機を
 使って石油を掘ったのが始まり。
 掘削は失敗に終わる。
 油田として最初に成功を収めたのが、新潟県の愛国石油鑿井(さくせい)で明治
 11年10月頚城地方で日産20石(3.6キロリットル)を出油した。
・掘削技術
 石油の掘削は、手掘りから上総掘り、機械掘りへと進化した。
 明治26年(1893)新津油田に導入された上総掘りが成功、採油量は飛躍的に
 向上させた。
 採油深度は120mから330mまで増大した。
 上総掘りは、上総(千葉県)で古くから使われていた井戸掘り技術の応用で深さ
 300mも掘れ普及した。
 やがて機械掘りが登場。
 本格的な機械掘り(綱式削井機)の導入は、明治24年(1891)日本石油
 尼瀬(新潟県出雲崎町)で日産43石(7.7キロリットル)の出油に成功した時
 に始まる。
 明治45年日本石油がロータリー式削井機を西山油田に導入。
 回転機を回しながら掘り進む工法は千間(1800m)掘りを可能にした。
・石油産業発祥地記念公園
 記念公園は、「越後出雲崎天領の里」に隣接している。
・尼瀬油田機械掘第1号井跡
 ここ尼瀬は海面に石油が浮遊していた。
 明治初期は手掘りよる採油が盛ん。
 明治24年(1891)に機械により深層掘削を行ったところ噴出を伴う
 大成功を収め、これにより石油の量産が可能となり今日の日本の石油産業
 発展の端緒を開いた。
 この井跡を公園とした。
 明治13年12月開坑 明治24年4月成功
 深度1746尺 日産43石
・内藤久寛
 安政6年(1859)7月刈羽郡石地で生れる
 明治21年日本石油が設立され内藤久寛が初代社長
 日本の機械掘りのもとになったので、その井戸の跡を「尼瀬油田機械掘第1号井跡」
 として新潟県文化財に指定された。
 明治期の新潟県は、頚城油田を皮切りに各地で油田開発が盛んに行われた。
 明治40年当時の新潟県の油田を見ると、北から黒川・新津油田・尼瀬・西山油田・
 東山油田・魚沼油田・頚城油田が。
 明治44年に東京鉱山監督署が発刊した「日本鉱業誌」によれば、「越後ニ於ケル
 原油産額ハ本邦原油総生産額ノ9割九分ヲ占ム・・・」と。
 新潟県が、国産原油総生産額の9割超を占めていた。
 日本石油(明治21年設立)・宝田石油(明治26年3月開業)・新津の中野貫一
 中央石油(明治39年設立)など数多くの会社が群雄割拠していた。
原油価格の高騰でガソリンの値も高値が続くと新聞に。
夏休の自由研究という言葉が、「石油産業発祥の地」出雲崎を26年ぶりに思い出させた。
石油との出会いが、新潟県の石油の歴史を教えてくれた。

石油産業発祥の地 (イラストを模写)