弘法清水と聖人清水巡りで昔を知る

kanazu362008-04-07

水の話題が新聞に。
弘法大師が約1200年前に掘り当てたと伝わる
旧巻町竹野町の弘法清水で、4月1日「弘法清水名水祭り」
が開催された。
東京練馬のスーパーで販売された健康飲料水から農薬(除草剤)が検出されたと。
5日、弘法大師親鸞聖人が水不足で苦労する農民のために水源を掘り当てたと
伝えられている弘法清水と聖人清水を訪れた。
・弘法清水(旧巻町竹野町
 新潟から弥彦街道を弥彦神社方向に進むと巻町竹野町集落がある。
 城山運動公園入り口の案内標識があり右折「霊水弘法清水」と書かれている。
 城山運動公園を過ぎると木材加工場と柿畑の間に「弘法清水」と書かれた黄色いのぼりが
 立っている。
 清水の脇に「来訪者のみなさんへ」の案内板があり弘法清水の由来などが書かれている。
 みなさんも良くご存知のとおり、お大師さまは、約1200年前、雨の日も、照った日も、
 また風雪の日も、常にわらじと笠の旅すがたで錫杖(しゃくじょう)をつきながら、
 諸国を巡行され、凶作あるいは病気などで苦しみ困っている多くの人々をお救いに
 なられたと言い伝えられています。
 この「弘法清水」も古老の語りつぎによれば、たまたまお大師さまが、竹野町部落を
 訪れた年は、田圃が地割れしたり、或いは飲み水が涸れるほどの大旱魃(かんばつ)で
 あったが、お大師さまは、農民の親切な心ずかいに感謝し且つ将来の水不足に
 備えるため、この地に錫杖を立てて水源を掘り当てられれたという。
 以後1200年の長い間、この清水は、コンコンとしてわき続けている。
 このことを感謝して地元では毎春恒例の「弘法清水名水祭り」を開催している。
 弘法清水は「砂田ノ井戸」とも呼ばれ、地下約100mの水脈から毎分約60リットル
 の水が湧き出ている。
 水質は弱アルカリ性の軟水。
 弘法清水の脇には「この清水は衛生上、そのままでは飲めません必ず煮沸してから
 お飲み下さい」と注意書きがある。
 弘法清水は、お茶やコーヒーやウイスキーの水割などに利用され、県内外から
 年間2万人もの人が水くみに訪れる。
 ・弘法清水と酒とビール
  地元エチゴビール(旧巻町福井)のホームページには、
  水は、清酒「越後鶴亀」(上原酒造)にも使用されています。
  地元の湧き水「弘法清水」がエチゴビールの基本です。
  また、醸造所敷地内でも弘法清水と同等の良質な地下水を掘り当てました。
  この地下水にはカルシウム・マグネシウム・ミネラルを適度に含み、鉄分等の
  ビールに好ましくない成分はまったく含まず、いろいろな種類のビールを造ることのできる
  適応性の高い水質ですと。
親鸞聖人清水(弥彦村弥彦)
 弥彦神社の鳥居を出て神社通りを歩くと右側に「親鸞聖人清水行舊跡」の石碑が建つ。
 石碑の脇は小さな小路となっており聖人坂と書かれている。
 聖人坂の入り口に「本高寺」入り口と書かれた案内板がある。
 坂を少し上ると左側の民家の裏庭なのだろうか、その一角に清水があった。
 清水の脇に「聖人清水」と書かれた案内板がある。
 浄土真宗の開山親鸞聖人が承元の乱に都を追われ承元元年(1207)35歳のとき、
 越後の国府(現在の上越市直江津五智)に配流された。
 越後国在住中に弥彦神社を参拝、その時宿泊したのが当時の庄屋林部四郎宅(当家)
 であった。
 たまたま水不足に悩み近くの川からわざわざ水を汲み上げて運んでくる老母の姿を
 見て同情し林部家のうらの竹林の一隅を聖人持参の杖で突いて仏に念じたところ
 たちまちコンコンと清水が噴出したと伝えられている。
 親鸞聖人が弥彦神社を参拝の折に詠んだ和歌一首が語り伝えられている。
 願はくは 都の空に墨染の 袖吹き返せ 椎の下風
角田山の麓では弘法大師が、弥彦山の麓では親鸞聖人が水に苦しむ人たちのために
錫杖を突き仏に念じたところ清水が湧き出たと語り伝えられる清水。
水の話題に誘われ、弘法清水と聖人清水巡りで昔を知った。

清水巡り (イラストを模写)