地域探訪坂井輪を歩きお宝を見る

kanazu362008-09-25

今日25日、佐渡市新穂正明寺でトキの試験放鳥が行われる。
27年ぶりに佐渡の空に日本の大空にトキが舞う。
新潟市坂井輪地区公民館とNPO坂井輪地域学の共催で
「坂井輪地域探訪講座“坂井輪のお宝見て歩き”」が始まった。
受講者は23名と坂井輪地域学会員21名。
第1回目の9月9日は座学「はじまりの地をめぐる」
第2回目の9月16日はフイルドワーク「はじまりの地を見て歩き」
・坂井輪のお宝見て歩き「はじまりの地をめぐる」
 ・寺尾中央公園の松根油跡
  寺尾中央公園の松をよく見ると幹のところどころに皮がはがれみ幹が露出している
  傷痕がある。
  傷痕は、戦時中松の根から油を採取した跡。
  第二次世界大戦では、飛行機が戦力の中心になりました。
  そこで石油の乏しい日本は、飛行機のエンジンの馬力を上げるため、添加剤の材料と
  して、全国的に松の木から油脂(松根油)を採取した。
 ・開地院釈智成の碑(古俣岩吉氏の墓)
  明治15年(1882)旧内野町上五十嵐の古俣岩吉と細貝藤八の二人は、荒廃していた
  五十嵐川下の開墾を志す。
  細貝氏は途中で開墾を断念。
  しかし、古俣氏は開墾を続け50余年の努力が実り200町歩の下新田を拓く。
  本人の「集落の見下ろす丘に墓地を立ててほしい」との希望で家族が丘の上に
  「開地院釈智成の碑(墓)」を建てた。
 ・寺尾地蔵尊
  明治45年夘月老母が子供たちに捕らえられた一匹の亀を助けた。
  或る夜老母の枕もとに地蔵尊現れ「我は衆生済度の誓願があり、当家南方丘の6本の
  松の下に埋もれている。掘り出してくれよ」と言って姿を消された。
  お告げの通り松の木下を掘り下げると正しく石体地蔵尊が出てきた。
  “あぁ有難や”と歌われ親しまれる「寺尾のお地蔵さま」の “寺尾地蔵尊”が
  今年開基百周年を迎え、9月11日秋季大祭が行われた。
 ・上新栄町飛砂防備保安林「体験の森」
  天保14年(1843)新潟奉行に就任した川村修就は、関屋・青山・五十嵐浜など
  を検分し、飛砂の被害を目の当たりにした。
  奉行はクロマツ3000本を植え「決して苗を踏み荒らすな、違背した者は見つけ
  次第厳罰に処す」と触れた。
  「体験の森は」地域の人たちが今も松などの苗を植え飛砂防備保安林として新潟の町を
  守っている。
  松林を歩くと、紅白の水引の花が咲く。
  真っ赤の水引の花で松林は燃える。
 ・五十嵐浜開拓団「開拓記念碑」
  開拓記念碑の裏側には、昭和24年11月4日11戸の農家が「五十嵐浜開拓地
  (川下・現真砂)」入植すると書かれている。
  11戸の開拓者は、引揚者・戦災者・復員など。
  砂地との戦いに苦労の連続だったが、幸運が開拓者に。
  近くで帝国石油がガス井戸の試掘に成功、不毛の地が宝の地に。
  開拓者の生活が一変した。
  石碑は昭和42年9月15日に開拓者の人たちによって建てられた。
 ・帝国石油新潟鉱業所跡
  新潟市内から掘割橋を渡り内野方向に進むと「帝石前」バス停がある。
  昭和29年新潟市下新田地内で帝国石油がガスの試掘に成功した。
  ガス輸送のため産業道路の建設が進められ町はガス開発ブームに沸いた。
  しかし、ガスのくみ上げの影響で地盤沈下の被害が発生、帝国石油は昭和34年に
  ガス開発計画を休止した。
  現在は、帝国石油新潟鉱業所跡の敷地内に「帝国石油(株)」と「帝国パイプライン(株)」
  の事務所がある。
 ・新潟信楽園病院「同朋追悼碑」
  ・昭和6年6月結核患者静養舎「有明松風園」を設立
  ・昭和12年11月新潟市西有明町に移転「有明信楽園」と改称
  ・昭和43年5月「信楽園病院」と改称
  ・昭和9年5月結核などで亡くなった多くの人たちの霊を供養するため信楽諸有志連の
   人たちが信楽園病院敷地内に「同朋追悼碑」を建立
地域探訪坂井輪のお宝見て歩き講座の3・4回目は「西川と人々のかかわりあいのあとを
めぐる(1)」、5・6回目は「西川と人々のかかわりあいのあとをめぐる(2)」である。
これから歩く坂井輪地区にはどんなお宝が眠っているのだろうか。
今から興味が尽きない。

坂井輪を歩きお宝を見る (イラストを模写)