伝統の技親から子へ

kanazu362009-05-20

昨19日NHK歌謡コンサートで「雨の夜汽車」という曲が流れた。
長岡駅から寺泊 乗換駅は始発駅 雨模様・・・
三条過ぎれば弥彦線 終着駅は海の駅 風の町・・・
と池田輝男(佐賀県出身:56)が歌う。
新潟県内の長岡や寺泊や三条や弥彦線が出る壮快なメロデーに思わずインターネットで
何回も視聴した。 
昔懐かしいふるいや曲げ物職人や下駄職人の伝統の技が親から子へと伝えられる記事が
新聞に出ており工房を訪ねた。
・ふるいや曲げ物職人(旧寺泊町山田:足立茂久商店・4月27日)
 寺泊の山田集落の中に「明治天皇山田御小休所址」の石碑が建つ。
 山田集落では、江戸末期(天保時代)にすでに篩(ふるい)業組合があった。
 現在は足立茂久商店一軒のみで看板には「フルイ・うらごし・曲げ物」と書かれている。
 フルイ・うらごし・曲げ物とはどんな商売か今の人には分からないだろう。
 父一久さんが足立茂久商店の10代目で長男の照久(34)さんが11代目。
 店の陳列棚には、唐檜(とうひ)の曲輪を桜の皮でとじ合わせ真鍮(しんちゅう)網や
 絹網を張った篩・馬の毛の毛網を張った裏漉し(うらごし)・昔ながらの作り方を
 かたくに守った蒸籠・茶筒・水差し・重箱・電子レンジで使える輪っぱなどが並ぶ。
 10代目足立一久造の名作「木地曲 水次」(平成17年9月復刻)も飾られている。
 説明書きには、「流祖山田宗偏著“利休茶道具図絵”(元禄14年刊行)をもとに足立一久
 氏が利休の創作水次を復刻いたしました。寸法書に明記されている三層構造(杉・檜・杉)
 を再現しました。
 水を含むと膨張する杉の間に水に強い檜を挟むことで耐久性を強化しました」と。
 11代目の照久さんは、現在の生活様式に合わせた製品作りに取り組んでいる。
 中でも「電子レンジで使える輪っぱが人気商品です。自分はまだ半人前」と。
・越後桐下駄職人(旧巻町本町:小林履物店・5月16日)
 巻町の本町に「にいがた下駄総おどり」の下駄を一手製作する履物店がある。
 越後桐下駄小林履物店だ。
 小林履物店の3代目は小林哲男(70)さんで長男正輝(33)さんが4代目。
 店には桐下駄と1000種類以上の鼻緒が陳列されている。
 下駄工場が巻町竹野町あると知らされ工場を訪ねた。
 3代目の哲男さんが下駄の材料の桐の板切りをしていた。
 15歳のとき親父(2代目)の内弟子になり技を磨いた。
 時代の流れで年々同業者が廃業して仲間も少なくなった。
 仕事場を案内してくれた。
 座布団が2枚敷かれている。
 「ここで私とせがれの二人で下駄を作ります。せがれは大学を卒業後別の仕事に付き
 ましたが数年前地元に戻りました」と。
 4代目の正輝さんは、インターネットを活用し全国有名百貨店や各地のベントに参加、
 代々伝わる鼻緒すげの技の披露と実演販売を行う。
 「今日も新潟のふるさと村で“鼻緒すげ” の実演販売をしていますよ」と。
 工場の壁には「下駄になるまで工程」が書かれた紙が貼られている。
 新潟のふるさと村に足を伸ばした。
 イベント会場に「越後巻町 下駄職人の店 小林履物店」と書かれたのれんの中で
 正輝さんが桐下駄に鼻緒すげの技を披露していた。
・番外:しろね大凧合戦秘伝の糸作り継承者育成
 しろね大凧合戦は300年の歴史を誇る白根市の伝統行事。
 中ノ口川をはさんで東軍・西軍に分かれ計13組が5日間闘う。
 24畳の大凧を引っ張る凧糸の制作は、かつては組専属の制作者が担ったり、少数の長老
 が行ってきた。
 凧糸の強さが勝負を左右する大凧合戦。
 そためノウハウは長年秘密とされ限られた人の間で技が伝えられてきた。
 しかし、大凧関係者の間から「一部の人しか知らない技はいずれ途絶える」と危惧する
 声が出て10年ほど前から技の継承を図ろうとベテランを中心に各組のメンバーが勉強会
 「匠乃会」を発足、秘伝の糸作りの継承者育成に取り組んでいる。
代々受け継がれてきた秘伝の技が親から子へと。

みごとな手さばきに思わず (イラストを模写)