地図と写真で見る懐かしい新潟古町 界隈
新潟大和の撤退に続き北光社の廃業も決まった。
衰退の新潟古町界隈は今後どうなるのか。
1月6日のNHKクローズアップ現代「逆転の発想が日本経済を
救う」の中で、2002年に新潟市で誕生し昨年末までに
40道府県に広がった「美少女図鑑」創刊の話題を放送していた。
「美少女図鑑」は、「東京ばかり見て、自分たちの街に誇りを持てない現状を変えたい」と
地元の女性がモデルで登場し、ファッションや地域の魅力を発信するフリーペーパー。
昭和40年代の地図が紙面を飾り、そして5日から「新潟まちかど物語」写真展が
開催されている。
・地図と写真で見る昭和40年代の古町界隈
元旦の新聞に昭和44年の新潟古町界隈の地図と当時の様子を写した写真が掲載
された。
西堀交差点には小林百貨店(現三越)・大和百貨店・新潟市役所(現NXT21)・越路会館
などのビルが建つ。
古町十字路には大和百貨店・古町会館・北光社・住友銀行などのビルが建つ。
古町6番町には北越銀行・冨士銀行・日本交通公社・萬松堂書店・奴パチンコなどが。
古町7番町には北陸ガス・緑屋・・ホリカワパチンコセンター・淺川園などが。
古町5番町には第4銀行・SY松竹・山下家具・明治屋・マルゼンデパートなどが。
東堀通にはイチムラデパート・長崎屋・山一證券・東京海上・東映などが。
就職し新潟に来たのが昭和40年(1965)。
古町で初めて卵で閉じられてないカツとタレだけの「タレカツ丼」をとんかつ太郎で食べた
記憶が懐かしい。
昭和44年の古い地図を片手に古町界隈を散策した。
あのころの名前で残っている店はほとんど無いく、シャッター通りになぜか寂しさと空しさが
漂う。
・「新潟まちかど物語」写真展(新潟市中央区:東北電力グリーンプラザ・1月5日)
会場に「懐かしい記憶が甦る“昭和の新潟”」と書かれた大きな看板がある。
昭和40年から50年代の新潟の街並みや人々の暮らしを写した懐かしい写真が。
昭和31年(1956)新潟県内の十大ニュースが書かれた新聞も飾られている。
1位が弥彦初詣事件 2位が皇太子殿下のご来県
昭和40年代の地図に書かれていた古町界隈の懐かしい写真が飾られている。
・昭和43年:大和デパート食堂のにぎわい
・昭和43年:宝塚劇場 ・昭和44年:長崎屋の開店
・昭和46年:小林デパート屋上遊園地 ・昭和46年:第四銀行新堀支店
・昭和47年:本町の歩行者天国 ・昭和48年:イタリア軒
・昭和48年:スーパーダイエイのオープン
・昭和51年:天びん棒のトウフ屋さん ・昭和53年:イチムラデパートの店じまい
・昭和54年:白山浦の電車通り
・昭和54年:最後の小林百貨店(3月1日から新潟三越へ)
・昭和57年:消えるか?キャバレー香港
・昭和57年:日本最後の地下街(休日には延べ6万から7万人の入場者)
・昭和58年:東映 ・昭和59年:雪の本町通4番町
などなど。
写真から懐かしい昔の古町界隈の記憶が甦る。
・番外:インタビューを受ける
「新潟まちかど物語」写真展を見ていると「UXテレビです」とインタビューを受けた。
「今晩6時から放送します」と。
テレビのインタビューを受けるのは、退職後初めての経験だ。
新聞によれば、昭和44年(1969)の県都新潟市の古町地区がある「新潟島」の人口は、
現在の2倍近い約11万7000人で新潟市民の3.3人に1人が暮らしていた計算。
当時はマイカーの普及途上で郊外に大型店も無い時代。
人々はバスに乗り繁華街の古町地区を目指した。
新潟交通の路面バス乗客数も年間延べ1億5000人が利用しピークに達した。
あれから40年、マイカーの普及と新潟駅周辺や郊外に大型店が次々と進出したことで
古町地区の衰退に拍車が掛かった。
古町地区の核店舗であった新潟大和の撤退に続き北光社の廃業がさらに古町地区の
今後に暗い影をお落とす。
かっての古町界隈の賑わいが、懐かしい写真でしかで見ることができないのが寂しい。
エェ!!「美少女図鑑」の発祥地は新潟 (イラストを模写)