職人の心意気さらなる夢に挑む

kanazu362010-07-03

物作りに懸ける4人の職人の話題が新聞に。
・江戸時代のからくり時計を復刻した男
・江戸時代のからくり人形を復元製作した男
・篠笛作りに生涯を掛ける男
・雪下駄作りに生涯を掛けた男
職人の心意気を肌で感じようと訪ねた。
・江戸時代のからくり時計を復刻した男(長岡市江陽・6月25日)
 江戸時代に作られたからくり時計を復刻した男が長岡市江陽にいる。
 男の名は時計職人角屋祥次(60)さん。
 実物は、東芝の創業者で発明家の田中久重が江戸末期に作ったもの。
 東芝科学館(川崎市)に複製があるが内部の駆動部分は存在しないため動かない。
 角谷さんは、東芝から依頼を受け失われた内部の駆動部分を写真から構造を推測し図面を引き、部品の多くを手作りで4カ月かけて150年前の「太鼓時計」復刻させた。
 運が良かった。
 正午を知らせる太鼓の音を聞くことができた。
 写真と図面を見せながら新潟県政記念館(新潟市中央区)の大時計(高さ2.32m)も私が8カ月かけて復元しました。
 大時計に魅せられ1.5倍の大時計(高さ3.25m)を完成させ自宅に掲げている。
・江戸時代のからくり人形を復元製作した男(旧白根市・2008年4月18日)
 越後大郷からくり館を訪ねたのが2008年の4月だった。
 からくり人形の魅力に取り付かれ、独学でからくり人形を作る男が旧白根市大郷にいる。
 男の名は日根之和(昭和17年生・67)さん。
 からくり人形の魅力に取り付かれて25年。
 江戸時代の幕府・天文学者、細川半蔵頼直の著した「機巧図彙(からくりずい)」を基に独学でこれまでにからくり人形9体を全て復元製作した。
 日根さんは「からくり人形」と「人形の頭」と「衣装の着物」を一人で作る。
 1994年から旧白根市大郷に「越後大郷からくり館」を開設、作品展示と演技を披露する。
 これまでに各地に伝わる山車(だし)からくり「綾渡り」「乱杭渡り」「桜渡り」「倒立童子」や、オリジナル作品の「短剣投げ唐子人形」、ろくろ首」等45点を製作した。
 玄関を入ると正面に、2003年ハンズ・フレッシュアイ賞の受賞作品「短剣投げ唐子人形」と名古屋万博に出品した「那須与一の強弓」のからくり人形が飾られている。
 目の前で「弓射ち童子(弓曳き童子)」「五段返り人形」「品玉人形」の実演を見せてくれた。 
・篠笛作りに生涯を掛ける男(旧岩室村和納・6月26日)
 旧岩室村和納に夏祭りのお囃子などに使われる篠笛を50年以上も作り続ける男がいる。
 今年3月、90歳の卒寿を迎えた竹内己作さんだ。
 6月26日仕事場を訪ねた。
 茶の間兼作業場の畳の上に完成した約80本の篠笛と6月23日に西蒲区長から篠笛作り功労の貢献で贈られた感謝状を広げた。
 平家の落人が伝えたとされる和納の笛拍子。
 15歳ころから篠笛に夢中になり、25歳で拍子方に選ばれ篠笛を吹き続けた。
 40歳ころ弥彦村に篠笛作りの名人山際友三郎がいると新聞で知りさん弟子入りした。
 会社を定年後は、毎年100本ほどの篠笛を制作し続けた。
 卒寿の記念にと友人や妻に進められ、一念発起し90本の篠笛作りに挑戦した。
 90本の予定が「興が乗って」110本も作った。
 車庫に篠笛の材料が山のように積まれており、卒寿の記念が終わりでなくこれからも竹内さんの篠笛作りの挑戦が続く。
・雪下駄作りに生涯を掛けた男(旧高田市東本町:竹田履物店・2006年8月)
 雪国の旧高田で雪下駄作りに生涯を掛けた男、竹田亀冶(91)さんの訃報を6月22日の新聞で知った。
 ふるさと高田の雪下駄職人竹田亀冶を知ったのは、2006年8月のことだ。
 父の27回忌と母の7回忌法要の引き出物にふるさとの思い出にと「ミニ雪下駄」を選び店を訪ねたとき。
 「雪下駄」は、雪国の生活に欠かせない冬の履物。
 「雪下駄」は、江戸時代に高田藩の御用医が、雪道でも歩けるように発明したと言わ
れる。
 雪深い上越地域で昔から履かれていた一本歯の下駄で、つま先に雪が入らないよう皮などで覆われている。
 竹田さんは日本でただ一人の雪下駄職人として70年余りにわたって雪下駄を作り続けた。
 長靴などの普及で雪下駄の需要が減ってからは、土産用のミニ下駄やミニ雪下駄を作って伝統の灯を守っていた。
 ミニ雪下駄は大人用の半分ほどの4寸(約12センチ)の大きさで装飾品として根強い人気がある。
 わが家では、玄関先の下駄箱の上にミニ雪下駄が飾ってある。
「太鼓時計」「からくり人形」「篠笛」「ミニ雪下駄」から職人の心意気が伝わってくる。
今日も職人がさらなる夢に挑む。 
この太鼓時計は (イラストを模写)