八幡林遺跡の木簡と縄文時代の竪穴住居復元

kanazu362010-12-17

奈良県明日香村で飛鳥時代中大兄皇子の娘大田皇女の墓と
見られる越塚御門古墳で巨大石室が見つかり12月11日、
現地見学会が開かれ約1000以上の人が見学の訪れた。
長岡市の市立科学博物館で八幡林遺跡の木簡展示会と
長岡市関原町の馬高・三十稲場遺跡で11日、復元中の竪穴住居が特別公開された。
・八幡林遺跡の木簡(長岡市長岡市立科学博物館・12月11日)
 1990年(平成2)11月和島村島崎八幡林(現長岡市)の国道バイパス工事から砂と泥にまみれた「沼垂城」と「養老」と書かれた木簡が出土した。 
 木簡出土20周年を記念し長岡市立科学博物館で「長岡の木簡」特別展が開催されており観てきた。
 木簡とは、墨で文字を記した木の札のことで、紙が普及する以前に記録媒体として利用されてきた。
 会場にはたくさんの木簡が展示されている。
 ・郡符木簡:越後国蒲原郡司の命令書
 ・沼垂城木簡:日本最古の城柵といわれる「渟足柵:ぬたりのき」
 ・封緘木簡:手紙を二枚の板に挟んで結んで封印し、あて先などを記したもの
 ・付札木簡:物品に品名や数量を記したラベルのようなもの
 ・荷物運搬費の請求木簡:荷物の運搬に従事した人夫や駄馬の数をあげ、それぞれに支給するよう請求した木簡
 ・習書木簡:役人が字を繰り返し練習した習書と呼ばれる木簡
 などなど。
・馬高・三十稲場遺跡:復元中の竪穴住居の特別公開(長岡市関原町)
 「火焔土器」発祥の地の長岡市関原町に「馬高縄文館・火焔土器ミュージアム」が、オープンしたのが昨年9月19日。 
 長岡市関原町の馬高・三十稲場遺跡は「火焔土器」の出土で知られる縄文時代中・後期の大規模な集落跡。
 火焔土器とは、1936年(昭和11)馬高遺跡で近藤篤三郎氏が最初に発見された1個の土器につけられたニックネームで、それ以外の類似した土器については「火焔型土器」と呼んで区別している。
 遺跡からは、土器や石器、竪穴住居の跡が発掘され、管理する長岡市馬高縄文館が現在竪穴住居1棟を復元中で完成後の来年4月から一般公開する予定。
 一般公開に先立ち12月11日復元中の竪穴住居が特別公開された。
 特別公開された居住1棟は、発掘した柱跡に盛り土をし、その上に骨格が完成した状態。
 広さは約20平方メートル・高さ約3.5m・クリの木柱12本。
・番外:火焔土器文様の再現
 長岡市は、所有する国重要文化財の「火焔土器」が1960年代に損傷する前の姿に再現するレプリカを作る作業を11月30日から始めた。
 関係者は、半世紀前、無理な修復作業で発掘時と色が微妙に変わったほか、模様の線の盛り上がりが丸くなり原形が損なわれたという。
 複製作業は、痛む前の写真などを参考に、文様の形状や色などを手作業で調整する。
 完成は来年3月の予定。
長岡市が、奈良時代の木簡の展示や縄文時代の竪穴住居の復元や火焔土器文様の再現で考古学フアンの夢をかきたてる。

これが「沼垂城」と書かれた木簡 (イラストを模写)