高田の雁木と雪下ろし

kanazu362011-01-21

昨20日から上越市に大雪警報が発令されている。
ふるさと上越市高田の街も積雪が1mを超え金谷山スキー場も
1月15日にオープンした。
大雪で屋根から下ろした雪で道路が埋まり雪の山が軒先まで
届く。
冬は人々は雁木を歩く。
雪に埋まった昭和28年2月の上越市高田の街の様子の写真が新聞に。
1月18日の夕方のNHKニュースで雪下ろし中に住宅の屋根から落ちたり、雪を捨てようとして川に転落したりするなど、雪による事故で亡くなった人は、この冬すでに41人に上り、前の年の同じ時期より8人多くなっていと放送していた。
・高田の雁木
 ふるさと高田は、有数の豪雪地帯である。
 昭和20年の大雪の時には、屋根から下ろした雪が道路に高く積まれ反対側の家に行くために雪道にトンネルが作られトンネルをくぐって反対側の家と行き来した記憶がある。
 冬の人々の往来を便利にするため総延長16キロメートルに及ぶ雁木が、今も高田に残っている。
 雁木は、雪が積もった時に、生活通路を確保するため、家々の軒先を歩道にしたもの。
 そこは、私有地である点が、歩道のアーケードとは大きく違っている。
 雁木は、お互いに私有地を出し合いながら雪と戦ってきた地域社会の絆のシンボルともいえる空間だ。
 越後高田に雁木が生まれたのは、松平光長の時代(1624−1681)とされている。
 また、寛文5年(1665)、高田は大地震に見舞われ、その復興工事により、城下町の町家に雁木が完備された、とも言われている。
 当初、雁木は建物の前に軒を出して、それを支える程度のものであったが、しだいに通路の上部を低い2階建てにし、物置や使用人の部屋とした家が現れてきたという。
 通路の上を2階として利用している家は数少ないが、今も高田の街にいくらかは残っている。
 また、明治以降、棟の高い本二階建ての家が建ち始めると、平屋の雁木を母屋に付け足す形式の雁木が増えていく。
 現在、多くがこの形式をとっている。
 雁木の屋根裏は、雪下ろしの滑り台を収納したり、梯子置き場となっているなど、利用価値が高い。
 また、雁木は民家だけでなく、街道沿いにあるお寺(光運寺)や神社(仲町3丁目の稲荷神社)にも見られる。
 ふるさと高田の雁木は「造り込み式」と「落し式」がある。
 19世紀中頃に建築されたと言われる、わが家の雁木は、外観が造り込み風である。  (越後高田の雁木:上越市教育委員会刊から)
 新聞に、上越市の各地を巡ってその土地の魅力を再発見するイベント「地域の宝探し」が開かれ、高田地区の江戸時代に建てられた町屋や雁木の残る通りを歩き、歴史や文化を知るで、生家の旧金津憲太郎桶屋も見学したと出ていた。
・雪下ろし
 1月18日、長岡市で除雪の担い手を育成する講習会が旧川口町で開かれ、参加者が安全な作業のポイントを学んだとNHKニュースで放送していた。
 講習会は、「越後雪かき道場」と名付けられ新潟市中央区社会福祉協議会が、積雪が多い日本海側の山間部の地域では、高齢化が進み、除雪の担い手が少なくなっていることから、地域の担い手やボランティアを育成するために、開かれたもので新潟市内から20代から70代までの13人が参加した。
 講師を務めた星野秀雄さんは注意事項として、
 ・作業中に屋根から転落したり雪に埋まったりした場合、発見が遅れるおそれがあるので、除雪はできるだけ複数で行うこと
 ・どうしても一緒に作業する人がいない場合は、作業に入る前に隣近所に声をかけ、携帯電話を持つようにすること
 ・雪下ろしの際には、はしごの上り下りで転落するケースが多いため、はしごをしっかりと固定し、道具はほかの人から渡してもらうようにすること
 ・屋根の雪がひさしのようにせり出す「雪ぴ」は落雪のおそれがあるほか、雪下ろしの作業中に踏み抜いて転落する危険性があるので、先から少しずつ落としていくこと
 ・屋根は滑りやすいので屋根に雪を少しのこすこと
 などなど。
 子どものころ(小学生のとき)から屋根の雪下ろしを手伝った。
 テレビを観ていて「雪下ろし」前に雪かき道場の講師と同じことを父から注意された記憶が甦った。
昨年は1回車庫の雪下ろしをしたが、今年はまだ積雪が少なく雪下ろしはしていない。
雁木と大雪時の雪下ろしには、子どものころの懐かしい思い出がある。

大雪で道路に雪のトンネルが作られたことも (イラストを模写)