羽子板展とお雛さまと花々展

kanazu362011-01-20

小正月も終りきょうはもう大寒
季節は大寒・節分・立春・桃の節句(ひな祭り)と冬から春に。
羽子板展とお雛さまと花々展を見てきた。
・羽子板展(新潟市中央区砂丘館・1月11日)
 砂丘館で新潟市の旧家佐藤家の「羽子板展」が開催されていた。
 佐藤家はかって古町9番町で「庄内屋」という芸者の置屋を営んでいた。
 佐藤家の先祖で庄内屋で芸妓をしていた佐藤シン(1873−1939)さんは、新潟花柳界が全盛だった明治中頃に新潟で1・2を争う売れっ子として活躍した。
 そのシンさんが集めたと伝えられる押し絵羽子板12点が会場に展示されている。
 会場には「羽子板の歴史」と「押し絵羽子板」の説明が書かれたパンプレッとが置かれている。
 ・羽子板の歴史
  中国の14世紀ころに硬貨をつけ錘とした羽根を蹴る遊びがあり、室町時代にこれが日本へ伝来、これが羽根つきの起源とされている。
  戦国時代から羽根つきに厄払いの想いがあり、江戸時代は年末に邪気よけとして羽子板を贈るようになった。
  江戸時代になり羽子板の図柄は日の出・七福神・松竹梅など目出度い絵に加えて、町人文化・元禄文化を反映して「歌舞伎」の役者絵が登場。
  錦絵の影響を受けた貼り絵の羽子板が作られ、その後、より装飾性の高い「押し絵羽子板」へと発展した。
 ・押し絵羽子板
  綿を布でくるんで、さまざまに立体的な絵柄に仕上げたものを「押し絵」と言い、これが羽子板に取り入れられたのが、江戸時代の初めごろ。
  江戸時代後期の文化文政期(1804―1829)になると、歌舞伎役者の舞台姿を写した押絵羽子板が登場し、江戸の人々の人気を博した。
   江戸庶民文化が 創り出した工芸品である押絵羽子板は、歌舞伎の発展と ともに発達し、その伝統的な技法は今日も受け継がれ、現在の押絵羽子板師たちが伝統工芸品「押絵羽子板」 製品を作りだしている。
  全部で50〜70もの材料を組み合わせおよそ200もの工程をかけて一枚の羽子板として仕上げられる。
・お雛さまと花々展(新潟市中央区:ギャラリーあらき・1月11日)  
 会場に「お雛(ひな)さまと花々に誘われて」と題し、顔彩で描いたお雛さま12点と花々の作品を合わせ約25点が飾られている。
 説明文には、「毎年桃の節句を前にした2月には、身近に接した雛人形をを描き続けてきたが、ちょうど干支ひとまわりの12枚になったので、この1年間に描きためた花々の小品と一緒に展覧しました」と。
 ・私のおひなさま ・さんだわらに乗せられた流し雛 ・めおと立ち雛
 ・桃の花 ・野中桜(旧上川村の天然記念物) ・クリスマスローズ
 など。
・番外:ひな人形展
 3月3日のひな祭りを前にデパートや人形店では、ひな人形展が開催されている。
 毎日のようにテレビや新聞でひな人形展の宣伝が。
 1月11日、デパートでひな人形展が開催されていたので見てきた。
ひな祭りが近づいてきた。
今年もわが家のお雛さまは、押入れの箱の中でひっそりと桃の節句を迎える。

今年もお雛さまの出番は? (イラストを模写)