縄文古木展と庭の縄文古木

kanazu362011-05-14

新聞に2007年7月16日の新潟中越沖地震出雲崎沖の海底
から出現した縄文古木の展示会と復元されて縄文時代の竪穴
住居が公開されていると知り見てきた。
縄文古木は、発見当時話題となり希望者に無償で配布された。
・縄文古木展(出雲崎町天領の里時代館・5月12日)
 2007年7月16日の新潟中越沖地震出雲崎沖の海底から縄文古木が大量に発見された。
 会場に縄文古木が5個展示さられている。
 コナラ節:1個・ケヤキ:1個・トネリコ属:3個で大きさは40センチから100センチ。
 脇に海底調査中に海底の古木の状況を映した写真と回収し漁港に集積した写真も展示されている。
 希望者は古木を無料で受け取ることができる。
 古木はビニール袋に入れられ、荷札に海底古木(縄文古木)の説明が書かれている。
 ・新潟県中越沖地震出雲崎沖漁場に出現
 ・古木の年代:3100〜6500年前(縄文時代の中期から後期)
 ・古木の種類:トチノキ・カエデ属・ヤチダモなど
・庭の縄文古木
 2007年7月16日の中越沖地震出雲崎沖の海底に眠っていた縄文古木が大量に地上に姿を現し話題を呼んだ。
 出雲崎漁協では約290トンを回収した。
 処分に困った出雲崎町出雲崎漁協組合では、2007年9月26日と同年10月18日の2回希望者に縄文古木を無償で配布した。
 記念に15個を譲り受けた。
 2007年10月18日、わが家の狭い庭に縄文古木15個が庭石代わりに庭の中央に置かれ風情を醸し出していた。
 庭石はデジカメに撮った。
 風情を醸し出していた古木も環境の変化か冬の風雪で少しずつ削られ細くなり何時しか見る影もなくなってしまった。
 今はブロックの脇に無残な姿で積まれ見る影もない。
 縄文古木は、引き上げ当初は水を吸って軟らかいが、乾燥すると割れ、崩れやすくなると聞かされていたが現実となった。
・番外:縄文時代の竪穴住居を馬高遺跡に復元(長岡市関原町:馬高遺跡・5月5日)
 長岡市関原に馬高遺跡と遠藤沢を挟んで三十稲場遺跡がある。
 看板には「馬高・三十稲場遺跡は、縄文時代の大規模な集落跡です。遠藤沢と呼ばれる小さな沢を挟んで、東側に中期(約5500〜4500年前)の馬高遺跡、西側に後期(約4500〜3200年前)の三十稲場遺跡が広がっています。
 馬高遺跡は火焔土器発祥の地として、三十稲場遺跡はヒスイや滑石などを加工した玉づくりのムラとして有名です。
 昭和54年に両遺跡のほぼ全域約4万5000平方メートルが国史跡に、平成2年には、最初に発見された火焔土器重要文化財に指定されています」と書かれている。
 長岡市はこのたび、縄文人の暮らしを肌で感じてもらおうと、馬高遺跡に約5000年前の竪穴住居を復元した。
 完成した竪穴住居は、屋根と壁がカヤでできている。
 発掘で見つかった柱の穴の上に、同じ太さの柱を立て建材は縄文時代に重宝されたクリの木でカヤは近くの沢で刈り取ったもの。
 中は50センチほど掘り下げられており、12畳ほどの広さがあり縄文時代に4〜5人の一家が住んだとみられる平均的なたたずまい。
 復元された竪穴住居の近くに「深鉢形土器(火焔土器)出土地」の標柱が立つ。
海底から出現した縄文古木と縄文時代の竪穴住居を見学、いにしえの遠い昔を知る。

海底からの贈りもの縄文古木 (イラストを模写)