新潟交通の引退する「なまず」バスと廃線後保存の「かぼちゃ電車」

kanazu362011-09-28

新潟交通の路線バスで、希少性や形からバスファンに愛称
なまず」と親しまれていた最後の1台がが年内で引退すると
新聞に。
9月23日の「バスまつり」で「なまず」バスが展示公開されると
知り見てきた。
・引退する「なまず」バス(新潟市中央区万代:万代シテイ・9月23日)
 「なまず」バスは、新潟でしか見られない貴重な車体として全国から乗車や撮影に訪れるファンがいる人気のあるバス。
 「なまず」バスは、1985年から1988にかけ北村製作所新潟市江南区)がボディーを作り、新潟交通に約100台を納入した。
 フロントデザインがどことなく「なまず」に似ていることから「なまず」バスの愛称が付けられバスファンの人気となった。
 かつては100台もあったバスも古くなり次々と引退していった。
 最後のバスは、新潟駅―潟東営業所間の路線バスとして運行されていたが老朽化が進み5月の大型連休前に路線バスの使用をやめた。
 昨年12月から新潟交通の関連会社である新潟交通観光バスの潟東営業所(新潟市西蒲区)で引退の日を待つが、現在はバスファンの貸し切需要に月数回走るのみ。
 路線バスの寿命は通常15年で長くて20年とされる。
 最後の「なまず」バスは、24年稼動し約75万キロ走った。
 9月23日の「バスまつり」会場(新潟市中央区万代シテイ)には、最後の「なまず」バス(新潟22か・904)が展示され、多くのファンが詰め掛けバスに乗るなど思い出にとシャッターを切っていた。
 バス前面のナンバプレートの上に「銀太郎」と赤字で、上部には「貸切」と書かれた緑色の文字が見える。 
新潟交通電車線(新潟電鉄)の「かぼちゃ電車」
 旧新潟県庁前(現新潟市役所)から燕市までの全長36.1kmに新潟交通電車線が走っていた。
 沿線の住民からは「電鉄(デンテツ)」の愛称で親しまれ、黄と緑の車体色から別名「かぼちゃ電車」とも呼ばれた。
 全線開通までの経緯は、
 1933年(昭和8)4月1日東関屋・白根間開通
 1933年(昭和8)7月28日東関屋・県庁前(後に白山前に改称)開通
 1933年(昭和8)8月15日白根・燕間開通
 廃線は、
 1992年(平成4)東関屋・白山前間廃止
 1993年(平成5)月潟・燕間廃止
 1999年(平成11)4月4日東関屋・月潟間廃止
 平成11年4月4日の月潟発東関屋行きの運転を最後に66年の電鉄の歴史に幕を下ろした。
 ・かぼちゃ電車の保存
  思い出のかぼちゃ電車は、今も旧月潟駅に3台保存され展示されている。
  電車正面には「東関屋行」と行き先が書かれている。
  旧駅舎に保存されているのは黄と緑の車体色のモハ11号など旅客車やラッセル車などの3両。
  1999年4月4日の廃線の翌日、旧月潟村が保存を始めた。
昭和40年新潟に転勤となった。
なまずバス」や「かぼちゃ電車」に乗った記憶があり、バスや電車を見ると懐かしさが込み上げてくる。

アァ!!「なまず」バスだ (イラストを模写)