記念碑の建立

kanazu362012-09-19

きょう9月19日は彼岸の入り。
東日本大震災の発生から」1年半が過ぎた。
7万本あった松のうち、大津波に耐え続け唯一生き残り、多くの人
に感動を与えた、前高田市の「奇跡の一本松」、保存に向けた
防腐処理のため9月12日切断された。
同市が来年3月までにモニュメントとして同じ場所に設置するという。
記念碑設置の話題などが新聞に出ており見てきた。
新潟高校敷地に「新潟第二中学校の記念碑」建立(新潟市中央区・9月12日)
 戦後、新潟高校の敷地内で3年間だけ開校した「新潟市立第二中学校」を偲ぶ記念碑が同校校庭に完成し8月26日除幕式行われ、卒業生や当時の教師ら20人以上が集まり、母校の思い出話に花を咲かせたと新聞に。
 記念碑は新潟高校の正門左脇にあり、石碑の表面に「新潟県立新潟高等学校併設中学校“新潟市立大二中学校”」と書かれ裏面に「我等此処に学ぶ一期生男子のみの中学校であった 新潟市立第二中学校 昭和25年3月卒業生有志一同」平成24年8月建立と書かれている。
信濃川左岸緑地に「千の風になって」のモニュメント完成(新潟市中央区・9月12日) 
 新潟市中央区信濃川左岸緑地「みなと・さがん」に新潟市出身の作家、新井満さんが訳詞・作曲したヒット曲「「千の風になって」のモニュメントが完成し、9月2日除幕式が行われた。
 モニュメントは同市のシンボル、萬代橋と同じ御影石製で、大地に埋め込まれるように直径4・2メートル、高さ30センチの円形で設置され、新井さんが揮毫した曲名がセンタープレートにはめ込まれている。
 完成までの経緯などを説明した「千の風モニュメント」案内板が脇の地面に埋め込まれている。
 千の風市民の会(斎藤賢祥会長)が平成22年秋から200万円を目標に市民に募金を呼びかけ、舞台美術家の土屋茂昭さんや新井さんにデザイン面の協力を得て実現した。
・スキー発祥の地高田に「メテレスキーの地」の記念碑建立
 ふるさと高田は日本スキー発祥の地である。
 高田町に陸軍第13師団が創設されたのが1905年(明治38)。
 上越市高田は、1911年(明治44)1月12日に、オーストリアの軍人レルヒ少佐が日本で初めてスキーを伝えた「日本スキー発祥の地」。
 オーストリアの軍人レルヒ少佐が1910年(明治43年)に訪日した。
 1910年(明治43年)6月高田町(現・上越市)に長岡外史師団長が赴任した。
 陸軍省を通じてレルヒ少佐がスキーの名手であることを知った長岡外史師団長は、1902 (明治35)年に多くの犠牲者が出た八甲田山雪中行軍の教訓もあり、レルヒ少佐にスキーの指導を積極的に働きかけた。
 その結果、1911(明治44)年1月12日、「メテレスキー(スキーを履け)」と旧陸軍に号令し、日本で初めての組織的なスキー指導が行われた。
 これが、日本のスキーの始まり。
 少佐の功績をたたえる市民団体「レルヒの会」が、日本スキー発祥の地を後世に語り継ごうと、上越市南新町お城西中学校に「メテレスキーの地」の記念碑と解説看板を設置し、9月3日にお披露目された。
 今度ふるさと高田に帰省した時「メテレスキーの地」の記念碑と解説看板を是非見てみたい。
・番外:良寛堂建立90周年記念式典
 良寛生誕の地である新潟県三島郡出雲崎町に「良寛堂」が建立されているので9月17日見てきた。
 良寛堂が建立されたのが1922年9月16日。
 9月16日、出雲崎の町民体育館で住民ら約300人が出関し「良寛堂建立90周年記念式典」が開催された。
記念碑などが建立されたとの記事に魅せられ、残暑の中思い出にと記念碑めぐりに出かけた。
千の風になって」のモニュメントが信濃川左岸に (イラストを模写)