芭蕉が越後高田でも句を詠む

kanazu362006-08-20

小学校の国語の授業に古文や漢文など
古典の見直しを検討という大きな記事を見た。
8月19日は「はいくの日」
「えんぴつで奥の細道」の本が、77万部を突破し、
今「奥の細道」ブームである。
キャッチフレーズが、「えんぴつを杖に芭蕉のことばをなぞりましょう」と。
芭蕉は、出羽(山形)から越後路に入り市振を抜け越中(富山)に入った。
越後では、中村・村上・築地・新潟・弥彦・出雲崎・鉢崎・今町(直江津)・
高田・能生・市振で宿泊して句を詠んでいる。
・荒海や佐渡によこたふ天河(あまのがわ)  出雲崎
・一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月   市振
・文月(ふみづき)や六日も常の夜には似ず  今町(直江津) 
など。
「荒海や」や「一家に」は、後の世まで知られる名句である。    
「文月や」は高田で詠んだ句と知り「写真高田風土記」で調べた。
「病んで高田に 芭蕉の来高(稲葉家時代)」という見出しで。
芭蕉は元禄2年(1689)7月6日、今町(直江津)に泊まり
「文月や六日も常の夜には似ず」と詠む。
8日高田に入って、「薬欄にいずれの花をくさ枕」と詠む。
一行は、11日の昼ころ高田をたった。
なお、「奥の細道」には、越後の旅9日間に(曾良随行日記では15泊16日)
「荒海や」や「一家に」の2句しか載っていない。
病気や暑さになやまされたせいか。
と書かれたいる。
「文月や」の石碑は、上越市中央3丁目の琴平神社
「薬欄に」の石碑は、上越市金谷山公園と五智国分
に建てられている。
芭蕉越後路を行く (イラストを模写)