母校の創立記念誌や同窓会名簿の中に思い出が

kanazu362006-10-26

母校新潟県高田商業高校から手紙が2通届いた。
「創立90周年事業募金協力のお願い」と
「同窓会名簿作成賛助金協力のお願い」だった。
10年前の「80周年記念誌」と「同窓会会員名簿」を開いた。
記念誌や同窓会名簿の中に、思わぬ発見や思い出があった。
発見は、
・佐藤富一郎(故人 第1回大正6年3月卒 社長 卒業生12名)
 大同レーザ(株)を興され、東京都江戸川区長も努められた佐藤氏が、昭和37年
 東京電力の株式2400株を母校に寄付、その資金で「六華奨学金」ができた。
 これまでに153名の生徒が、六華奨学金の恩恵を受けた。
 平成元年4月26日には、佐藤記念会館が校舎脇に建設された。
・富岡惣一郎(故人 第17回昭和14年3月卒 画家 卒業生50名)
 昭和9年(1934)入学、昭和14年3月卒業、三菱化成に入社。
 会社で最初に与えられた仕事が、船で運ばれてくる原料の陸揚げ作業であった。
 荒くれた沖仲仕を相手にしての作業は容易ではなく、画伯を苦しめた。
 この時の体験が、後年の創作活動にとって大きな支えになったと。
 画家として大成。「トミオカホワイト」と呼ばれる、白と黒の世界を作り上げた。
 富岡惣一郎美術館は、出身地の上越市高田ではなく新潟県六日町市(現南魚沼市)に
 「トミオカホワイト美術館」として1990年初冬に建てられた。
 美術館には多くの人が見学に訪れる。
・三船浩(故人 本名森田肖三 第25回昭和21年3月卒 歌手 卒業生58名)
 昭和31年(1956)12月「男のブルース」でデビュー、歌は大ヒットしスターへの
 道を駆け上がり、NHKの紅白歌合戦にも出場、華やかの昭和歌謡史にその名を刻んだ。
 卒業後は、日本曹達に就職、好きな歌の魅力に取り付かれ「NHKのど自慢コンクール」に
 挑戦、1951年全国3位に入賞し歌手の道に進んだ。
 主なヒット曲は、
 「男のブルース(56年)」「さよなら故郷さん(57年)」「東京だより(58年)」
 「夜霧の滑走路(58年)」「月光仮面の歌(58年)」「サワーグラスの歌(60年)」
 等など。
 人望を買われ62歳の時に日本歌手協会理事長に就任した。
思い出がある。
そろばんの授業で教師が、
「面接試験で試験官の前で、三船浩の男のブルースを歌う度胸があれば試験は合格だ」
と冗談に言った言葉が・・・。
母校の創立記念誌や同窓会名簿の中に思い出や懐かしさが。
募金と賛助金を郵便局から振り込んだ。
進路相談 (イラストを模写)