美空ひばりと越後月潟角兵衛獅子

kanazu362006-11-01

「虎は死して皮を残し、人は死して
名を残す」ということわざがある。
(虎は死んだあと立派な毛皮を残すが、
人もまた、死後に立派な名を残すような生き方を
しなければならないという教え)
美空ひばりは、死して歌と記念館と歌碑を残した。
京都嵐山にある「美空ひばり記念館」が、11月末で閉館と新聞に出ていた。
会館は、ひばりの死去から5年後の1994年3月に遺族の協力で開館した。
会館から4年目で300万人を超す人が訪れ、京都観光の人気スポットでも
あったが、しファンの高齢化などで入場者が減少しついに閉館する。
数年前、ツアーで京都を訪れ「美空ひばり会館」を見学した。
川の流れのように」のメロデーが流れる会場を回った。
東京ドームでの最後の公演の時着た衣装を見た。
テレビで観る姿とは違い、あまりの衣装の小さに背がこんなに低かったのかと驚きを・・・
多くの歌を残し、各地に歌碑が建てられている。
越後月潟村(現新潟市)の「越後獅子の唄」と福島県いわき市の「みだれ髪」の歌碑を見た。
・「越後獅子の唄」歌碑
 月潟村は、角兵衛獅子の発祥の地。
 江戸では越後獅子のことを、角兵衛獅子と呼んでいた。
 月潟村には、角兵衛地蔵尊が祀られている。
 6月24日は地蔵菩薩の命日で、この日は、全国の巡業から帰った舞子が境内で
 角兵衛獅子の芸能を競演奉納して守護尊の尊霊を慰めた。
 現在は地元の小中学生の児童が、月潟まつりに鎮守白山神社境内で「角兵衛獅子の舞」
 を奉納する。
 昭和25年の映画「とんぼ返り道中」の中で、ひばりが「越後獅子の唄」を歌ったことで
 角兵衛獅子が広く世間に知られた。
 その後、映画「鞍馬天狗・角兵衛獅子」でひばりが杉作を演じ、ひばりが歌った
 「越後獅子の唄」が大ヒットした。
 歌碑の脇にある、赤い石のボタンを押した。
 「笛に浮かれて 逆立ちすれば・・・・」のメロデーが流れひばりの声が聞こえる。
 昭和26年にひばりが歌う「角兵衛獅子の唄」には、
 「生まれて 父の顔も知らず 恋しい母の名も知らぬ・・・・ わたしゃ越後へいつ帰る」
 と角兵衛獅子を踊る子どもたちの、苦労と悲しみと故郷への懐かしい思い出が歌詞に。
・「みだれ髪」歌碑
 塩屋埼灯台の麓に「みだれ髪」の歌碑が建てられている。
 病後の復帰第1作である。
 歌碑の前に立つと自動的にメロデーが流れひばりの声が聞こえる。
記念館は閉鎖されるが、ひばりの歌と歌碑は人々の心にいつまでの残る。
あぁ「川の流れのように」のメロデーがどこからか聞こえてくるような気がする。
角兵衛獅子 (イラストを模写)