団塊の世代も歌う「あ々上野駅」と「高校三年生」

kanazu362007-02-23

巷では”千の風になって”の曲に人々の心が
癒されるという。
NHKの「生活ほっと」や「クローズアップ現代」でも
放送した。
ピアノ教室に通う妻は、千の風になっての歌詞と楽譜を渡され練習を始めた。
団塊の世代の人たちにも過去を甦らせる心の歌がある。
「あ々上野駅」と「高校三年生」だ。
「あ々上野駅」という曲は、金の卵と持てはやされ東北や北陸地方から就職列車に揺られ
上京、首都圏で働き陰で高度成長期を支えた中卒就職者たちにとっては、忘れられない
人生の応援歌だ。
「高校三年生」も高校卒業生にとって思い出の曲だ。
高校三年生は1963年舟木一夫が歌い、あ々上野駅は1964年井沢八郎が歌い
共に大ヒットした。
1950年代といえば、まだ高校に進学するものは少なくクラスの半分以上の者は就職した。
統計によれば、新潟県下で1955年から1976年の間に中学を卒業して社会に出た者は、
35万6千人を超え、その多くは首都圏に出たと。
集団就職は1953年に始まり1976年を最後に幕を閉じた。
今でも50数年前、クラス仲間を高田駅から見送った光景が瞼に浮かぶ。
高校を出て地元に就職した私は、高田駅から高校のクラス仲間も見送った。
”どこかに故郷の 香りをのせて ・・・ 上野は俺(おい)らの心の駅だ 
くじけちゃならない人生は・・・”
と歌われる、あ々上野駅
”赤い夕陽が 校舎をそめて ・・・ ああ高校三年生 ・・・ 越えて歌おう この歌を”
と歌われる、高校三年生。
上野駅は、東北や北陸地方からの終着駅だった。
今は、新幹線の東京駅乗り入れで思い出の上野駅は、終着駅から通過駅となってしまった。
上京の度に降りた18番ホームも今はない。
2003年上野駅に「あ々上野駅」の歌碑が建てられたと新聞に。
団塊の世代の先輩のわれらが歌う、高校同級会の閉めの歌は、「校歌」と「高校三年生」で
ある。
団塊の世代も「あ々上野駅」や「高校三年生」を歌う。
見送り (イラストを模写)