4万8千5百歩で新川を踏破

kanazu362007-02-25

新川漁港(新潟市内野)から新川の始点
鎧潟排水機場(旧西川町)まで、2日間4万8千468歩で
往復、新川を踏破した。
歩いた距離は約30km。
新川始点にある西蒲原土地改良区の職員は、本当に歩いて来たのかと驚きの声を。
2月22日新潟市の最高気温は14.1度と今年一番の暖かさで4月上旬の気温。
2日目の22日は田潟排水機場から新川始点の鎧潟排水機場まで歩いた。
・アクアパーク・田潟排水機場から童子ケ原橋
 9時22分アクアパークを出発
 排水機場脇に田潟干拓記念碑があり集落には神明宮が祀られている。
童子ケ原橋から新川橋
 童子ケ原橋を渡り右岸に出て、与兵衛野新田(旧西川町)の茅葺きの稲荷神社を参拝。
 左岸には工場が点在する。
新川橋・はなみ橋から茫茫(ぼうぼう)橋
 升潟排水機を通過、黒サギが道案内をするかのように上流上流へと飛んで行く。
 新川集落の三戸の田圃にハサ木がまだ見られる。その数約200本以上。
 管理する老人は、昭和25年3戸が善光寺(旧西川町)から移住した時ハサ木も一緒に
 移植したと。
・茫茫橋・早通橋から鎧湖(がいこ)橋
 茫茫橋のたもとの農家では田圃を池にしてカモを飼育している。
 対岸前方に旧木山排水機場が見え周辺の田圃で白鳥の群れがエサをついばんでいる。
 今年最後の白鳥の姿か。
・鎧湖橋・弁天橋から鎧潟排水機場
 13時新川始点の鎧潟排水機場に到着
 目前の新川には、西蒲原土地改良区所属の浚渫船「新川丸」が係留されている。
 新川は、ここで2本の川に分かれ、右上流が飛落川・左上流が大通川と名前を変える。
 排水機場脇の広場に排水機場公園があり「鎧潟干拓記念・魚魂の碑」等の記念碑が三基
 建てられている。
西蒲原土地改良区の職員は、「鎧潟は、周辺村民の漁場で深いところでは30mもあった。
西蒲原地域の3分の1は、標高がー1.5mから+1mで日本海水面より低いところもある。
新川は、低湿地の多かった西蒲原地域を水害から守るため、1818年から1820年に
かけて掘られた排水路で三潟(大潟・田潟・鎧潟)の水を日本海に抜く役目をしている。
排水機場のポンプの稼動が止まると西蒲原地域は水没する」と話した。
地元新潟市内野地区の住民は、新潟市の西部を流れる新川の歴史を学び、地域おこしに
つなげようと、2月17日「越後新川まちおこしの会(会長佐藤大作)」を設立した。
地域活動は盛んだ。
私の住む坂井輪地区にも、
「西川を守る会」や「坂井輪地域学研究会」や「坂井輪郷土を語る会」等がある。
地元を知りたいと坂井輪郷土を語る会(竹内晃著)刊の
「坂井輪のむかしをたずねて(見たり・聞いたり・調べたり)」を購入した。
毎日が日曜日。
本を片手に坂井輪のむかしをたずねて、古老の話を聞くのも楽しい。
この鎧潟は (イラストを模写)