明和義人ゆかりの地古町周辺を散策

kanazu362007-05-20

新潟市は、政令指定都市記念ミュージカル「明和義人」を
8月31日から9月2日まで上演する。
市では、公演を成功させるため出演者を市民から募集、
合わせて明和義人を広く市民に知ってもらうため
「明和義人ゆかりの地古町周辺散策絵図」マップを作成した。
・マップによれば、明和義人とは、
 江戸時代の明和4年(1767)、財政悪化に苦しむ長岡藩は、湊を運営する
 新潟町民に多額の御用金を収めるように命じた。
 不景気で支払えず、人々は支払いを延ばしてもらおうと話し合いをした。
 長岡藩では、町民たちが勝手に集まって悪いことを計画していると首謀者の
 涌井藤四郎を捕まえ話し合いに参加した人たちを家に閉じ込めた。
 これに町の人たちが反発して一揆を起こした。
 しかし、藤四郎は「おかみにはむかうな」と人々を押し留めた。
 新潟町の人々は藤四郎を新潟町民の代表とする体制を整え、一揆後2カ月間にわたり
 町の人たちが自ら組織を作って町政を運営した。
 その後、長岡藩は、事件を招いた涌井藤四郎と打ち壊しに深く関わったとされた
 岩船屋佐次兵衛を打ち首にした。
 新潟町の人々は、藤四郎たちを町の為に働いたのに理不尽に殺された人々と考え、
 ひそかにまつり、この事件を町の誇るべき歴史として後世に伝えました。
 後に藤四郎たちを義民、義人と呼ばれるようになり、昭和3年(1928)には、
 白山公園に「明和義人之顕彰碑」が建てられました。
16日、マップを片手に明和義人ゆかりの地古町周辺を散策した。
・白山公園
 公園内県政記念館脇に「明和義人之顕彰碑」が建ち解説板もある。
・口之神社(古町)
 愛宕神社境内に境内社として「口之神社」が祀られている。
 解説板には、祭神は、千葉の義民佐倉惣五郎で新潟の明和義人の関係者も
 合祀されていると。
・長照寺(西掘 三越裏)
 涌井藤四郎の墓がある。
 墓は、住職に案内していただいた。
光林寺(西掘 三越脇)
 長岡藩の鎮圧部隊が滞在。
・浄泉寺(西掘)
 涌井家の菩提樹であったと言われている。
 案内板等はない。
・真城院(西掘)
 明和義人涌井藤四郎を供養する為に建立されたと伝わる二十六夜塔がある。
 山門をくぐると左側に、二十六夜塔はあるが、特に説明文は無い。 
宝亀院(西掘)
 岩船屋佐次兵衛の首をもらい受け、葬礼をした。
 岩船屋佐次兵衛の墓がある。
 住職から、昔は涌井藤四郎の墓もあったが、今は風化して無い。
 岩船屋家の末裔の墓は今もあると案内してもらった。
 墓石には、「岩船屋家之墓」と。
白山公園から宝亀院までの往復の散策に約2時間30分かかかった。
白山公園の「明和義人之顕彰碑」と「口之神社」には解説板があったが、
そのたのゆかりの寺院には、特に解説板は無かった。
明和義人ゆかりの地古町周辺を散策してまた新しい新潟の歴史を知った。
このお寺には (イラストを模写)