懐かしい新潟本町下町小路を歩く

kanazu362007-06-23

月日の経つのは早い。
もう6月も終わる。
昨22日は夏至、一年で最も昼の時間が長い日だった。
19日、新潟本町通りを1番町から14番町まで歩いた。
下町(しもまち)の11番町から14番町の間には、9つの
小路があると聞き小路めぐりをした。
大きなポスターが掲示されている。
「新潟しもまち小路通り」と書かれ、小路名を織り込んだ面白い小唄が紹介されている。
ぜんくら小路でゼン拾ろて 思案小路で思案して 関口小路でせき払い
梅屋小路で梅こうて むさ小路でムサムサ食った
小路には「小路解説板」が設置され小路名の由来が書かれている。
・御祭堀 御祭(ごさい)堀という堀の両側に付けられた小路、古い絵図には「さい小路」
       「御菜堀」「五菜堀」等と書かれている。
・梅屋小路 江戸時代からの小路名でいわれは不明、新潟言葉で「梅屋小路」は
        「むやめ小路」と発音される。
・思案小路 江戸時代角に貝屋次(かいやじ)左衛門の屋敷があったので元は
        「貝屋次小路」と呼ばれた。幕末頃から「思案小路」に変わった。
・茂作小路 江戸時代からの小路名でいわれは不明、「むさ小路」と記す絵図もある。
        新潟言葉で茂作(もさく)は「むさ」と発音される。
甚九郎小路 江戸 時代からの小路名でいわれは不明、新潟言葉で「ぜんくら小路」
         「じんくら小路」と発音される。
・放生津屋小路 江戸時代角に放生津屋(ほうづや)徳左衛門と右近三十郎の屋敷が
           あった。「右近小路」と記す絵図もある。
・関口小路 江戸時代角に関口六助の屋敷があった。近くに右近三十郎の屋敷が
        あったので「右近小路」と記す絵図もある。
・熊谷小路 江戸時代この小路を挟んで熊谷市左衛門と宮田覚左衛門の屋敷があった。
        「覚左衛門小路」と記す絵図もある。
・斎川小路 江戸時代東掘りとの角に斎川(さいかわ)四郎兵衛の屋敷があったので
        「斎川小路」と呼ばれた。
「新潟しもまち小路通り」のポスターを眺め、もう一度小唄を読み返した。
昔の人たちには懐かしい思い出のある小路名だろう。
故郷城下町高田にも懐かしい町名があったことを思い出し、本棚の「写真高田風土記」を
開いた。
旧高田城榊原家藩士禄高姓名明細図には、江戸時代の町名が書かれたいる。
私の生家仲町4丁目は桶屋町。
他には大工町・大鋸町・呉服町・上小町・紺屋町等などが。
藩士の住んでいた町は、家中(かちゅう)と呼んだ。
明治生まれの父は、死ぬまで昔の町名で呼んでいた。
古き町名を懐かしむのは、老いた証か。
懐かしい小路名が書かれた新潟本町下町小路を歩き、湊(みなと)新潟の歴史や文化を
知った。
小路を歩く (イラストを模写)