だいろ(カタツムリ)と曽根代官所

kanazu362007-06-28

あれ!!赤トンボが庭を舞う。
赤トンボの羽の先は、4枚とも黒い。
タツムリがアジサイの葉の上に。
思わず唱歌「カタツムリ」の 
でんでん虫々 かたつむり お前のあたまはどこにある 角だせ 槍だせ あたまだせ
「岩室甚句」の
だいろや だいろ 角だせだいろ 角出さぬと 曽根の代官所へ 申し上げるが・・・
の歌詞が頭に。
西蒲原地方では、カタツムリを「だいろ」と呼ぶ。
タツムリと曽根代官所をインターネットで調べた。
・カタツムリ
 雨の日や雨があがったとき、あじさいなどの庭木の葉の上や塀や石の上などに
 見られる。
 1匹でオスとメスどちたの働きもする。
 2匹以上いないと卵は産まない。
・曽根代官所
 曽根代官所は、長岡藩が穀倉地蒲原郡の要として曽根組を設け代官所を設置した。
 元和6年(1620)から慶応4年(明治元年1868)の約250年間治めた。
 現在代官所の建物はなく、跡地に曽根小学校が建てられている。
 往時を偲ばせるもは、代官所の唯一の記念物といわれる一本の「樫の木」。
 西川町では、樫の木を町の木に指定、木を町の指定文化財・天然記念物として
 保存している。
 樫は、樹齢約250年から300年。
 6月22日曽根小学校を訪れた。
 学校に通じる国道116号、曽根交差点地下道入り口には大きなカタツムリの絵が
 描かれている。
 校門を入ると右側に竹垣で囲まれた大木の「樫の木」がそびえ、脇に「曽根代官所址」と
 書かれた石碑が建っている。
 解説板には、元和4年(1618)牧野忠成の長岡移封と共に長岡領地の組分けで
 蒲原組がおかれ、同6年6カ組の一つに曽根組が設けられた。
 藩の郡奉行(郡方)配下で江戸中期以降は250石から300石の藩士1から3人が
 勤務した。
 元禄15年(1702)58カ村、寛政2年(1790)50カ村、文政13年
 (1830)57カ村、安政5年(1858)には、57カ村3050戸を統轄した。
近郷には「だいろ」を冠したものが多い。
・弥彦スカイライン「だいろ坂」
 間瀬口側から弥彦山頂を目指す道路で、だいろ坂の標高差は約150m、
 カーブは12ある。
・多宝温泉「だいろの湯」
 旧岩室村石瀬にある温泉施設で2001年11月にオープンした。
・西川ふれあい公園「だいろの家」
 旧曽郷中学校跡地に曽根代官所の一部を模して建てられた施設で文化活動などに
 利用されている。
1匹の庭のカタツムリが、蒲原地方を約250年間治めた往時の曽根代官所の姿を
偲ばせてくれた。
この樫の大木が (イラストを模写)