新潟市と曽根村と小吉村の道路元標を 見る

kanazu362007-07-26

地方紙新潟日報に「碑は語る」が連載されている。
7月15日は「道路元標」だった。
道路元標は、大正時代近代道路網整備事業の一環として
全国の市町村に一基ずつ立てられた。
当時、新潟県は410を超す市町村があった。
道路元標もその数だけ立てられた。
記憶が甦った。
確か新潟市の本町通りで、国道の起点標柱を見た記憶がある。
25日、記憶を頼りに本町通りの道路元標と新聞に掲載されていた、
曽根村と小吉村の道路元標の石柱を見てきた。
やはり記憶どおり新潟市の本町通にあった。
本町通7番町と柾谷小路が交差する角の永井電機前路上に「新潟市道路元標」と
「道路元標」「里程標」の説明が書かれた石碑があった。
・道路元標
 東京日本橋に慶長9年(1604)全国に通ずる街道の出発点として
 建てられたのが始まり。
 この道路元標は、大正8年(1919)道路法制定当時は木柱であった。
 その後、大正11年(1922)現在の石柱になった。
 里程標にみられるとおり重要な国道の起点・終点を示すものである。
・里程標
 一般国道起点
 7号 青森県青森市マデ518キロ 
 8号 京都府京都市マデ592キロ
 113号 福島県相馬市マデ238キロ
 289号 福島県いわき市マデ301キロ
 350号 新潟県上越市マデ194キロ
 一般国道終点
 17号 東京都中央区ヨリ442キロ
 116号 新潟県柏崎市ヨリ86キロ
 402号 新潟県柏崎市ヨリ92キロ
 道路元標の隣に現在の標柱が建っていた。
・7号線起点 ・116号線終点
 8号線の記載はどこにもない。
新潟国道事務所新潟出張所に国道8号線の起点を聞いた。
「現在の国道8号線の起点は、紫竹山インターです」と。
・曽根村の道路元標
 西川町4番町生田耕平宅前路上に曽根村の道路元標の石柱があった。
 石柱の「標」字がアスファルトに埋まり隠れ「曽根村道路元」までしか読めない。
・小吉村の道路元標
 中ノ口川を挟み両郡橋が旧小吉村と茨曽根を結ぶ。
 両郡橋の左岸土手の上流と下流を調べたが、小吉村の道路元標は見つからない。
 近くの理髪店で道路元標の場所を聞いた。
 老婆が、「墓石なら橋の上流50mくらいの土手のところにある」。
 両郡橋は、新しい橋の建設が進んでいる。
 橋上流土手近くにの通行止めの脇に、石の台座に乗った小吉村の道路元標があった。
 老婆が言ったとおり、まるで墓石ようである。
 解説板には「この道路元標は、大正8年(1919)に公布された道路法によって、
 全国の各市町村に設置されてものも一つです。
 しかし、昭和27年(1952)の新道路法制定により、この道路元標は
 その役目を終えました。
 その後、道路元標のいくつかは、道路の拡幅や河川の改修等で移動され
 行方が分からなくなりました。
 運よく残されたこの道路元標は、昭和29年(1954)の中之口村立村で
 小吉村があったことなども語ってくれ貴重な文化財です。
 小吉村道路元標がこの地に末永く保護されることを願うものであります。
 平成17年3月21日中之口村閉村にあたって記す」と書かれている。
「温故知新」、故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る。
新潟市と曽根村と小吉村の道路元標を訪ね「道路元標」という言葉を知った。
道路元標を見つけた (イラストを模写)