高田の祇園祭と上越まつり

kanazu362007-07-27

26日、懐かしい思い出の高田の祇園祭が終わった。
上越まつりは、23日から26日までが高田地区の
祇園祭、26日から29日までが直江津地区の港まつりである。
新聞に上越まつり(祇園祭)の歴史が載っていた。
祇園祭の歴史は、上越市直江津越後国府または府中と
呼ばれていた時代までさかのぼる。
慶長19年、家康の六男松平忠輝は、福島城(直江津)を廃して高田に
城を築いた。
このとき直江津祇園社(八坂神社)は、高田に移らず高田へ出向いて
祇園祭を行うことになった・・・。
高田での祭りを終え、神輿が稲田から船で直江津に還御されると直江津
祇園祭が始まる。
じょうえつ市の「郷土史散歩」(池田嘉一・渡辺慶一著1976年4月刊)に、
祇園祭のことが書かれている。
神輿は7月6日、直江津から今町街道を陸送され、その夜は陀羅尼(北本町)
八幡宮に泊られた。
翌7日は表祇園といい、神輿は北本町・本町・南本町を御渡し、伊勢町
(南本町1)から引き返して、高田町四つ角(本町2と本町3の境)のお旅所
にはいられた。
神輿は、7日から13日までお旅所に御滞在、毎夜お祭りがあり、四つ角は
参拝人でごったかえすほどの賑わいだった。
14日は裏祇園といい、神輿はお旅所から職人町通り(大町)田端通り
仲町)を御渡し、善光寺町(東本町1)から奥州街道を下って稲田橋を渡り、
稲田川原から乗船して荒川(関川)を下り直江津に還御された。
神輿の還御の様子は「直江津小唄」(昭和3年相馬御風作詩・中山晋平作曲)に
唄われている。
夜の荒川 神輿が下る 川は万灯の迎え船
祇園ばやしの 笛や太鼓で 夜が明ける
昭和37年には、祇園祭の期日を7月20日から5日間とし、8月の高田
商工祭と合同し「高田ぎおんまつり」とした。
昭和48年から「高田ぎおんまつり」と「直江津港まつり」を上越まつりとした。
・高田祇園祭 7月24日から26日
直江津港まつり 7月26日から28日
32回目となる今年の上越祭りは、23日から26日までが高田祇園祭
26日から29日までが直江津港まつりである。
子どものころ祇園祭は楽しい祭りであった。
子どもの数も多かった。
子供みこしは中学生が担ぎ、小学生は灯ろうを掲げ、女の子は笹竹に
チョウチンをぶらさげ、幼児は山車を引きながら行列して各町内を練り歩いた。
歩き終わると参加者にキャラメルやお菓子などの景品が出た。
各町内の子供みこしや灯ろう行列の時間が新聞にでている。
生まれ故郷の懐かしい仲町4丁目子供会のみこしも7月25日17:30から18:30、
町を練り歩くと出ていた。
数行の記事が、忘れかけていた幼いころの懐かしい楽しかった祇園祭りの
思い出を甦らせてくれた。
祭り (イラストを模写)