信濃川関屋分水路と分水路橋めぐり

kanazu362007-09-08

大型台風9号は、7日午前2時神奈川県
小田原市付近に上陸し、関東・東北地方を縦断、
北海道に達した。
幸い新潟県は、大きな被害はなかった。
台風は、暴風・強風・大雨・洪水・河川の氾濫等と連鎖反応する。
新潟県下を流れる大河信濃川
新潟市を洪水から守るため信濃川には、「大河津分水路」と「関屋分水路」がある。
信濃川関屋分水路を知るため、「関屋分資料館」を9月5日訪ねた。
・関屋分水路(信濃川水門から新潟大堰)
 施工期間 1964年(昭和39)から1981年(昭和56)
 通水は1964年(昭和47) 事業費 約190億円
 信濃川関屋分水路の長さは約1.8km、川幅は約240mから290m
 人口の川で関屋分水路は、約7年かけて掘り上げた。
 関屋分水路には5本の橋が架けられている。
 本川には、信濃川水門(本川大橋)が、関屋分水路の河口には新潟大堰(新潟大堰橋)
 がある。
・関屋分水路工事の変遷
 関屋分水路を通すため移転を必要とする家屋は693戸(870世帯)にも及び、
 その多くの方々は新潟競馬場の前身である関屋競馬場跡地に移り住み「信濃町
 「文京町」という新しい町が生まれた。
 掘った土の量が約400万立方メートル、新潟県庁を枡に見立てると約20杯分。
 延べ60万人の人が工事に。
 1922年(大正11)8月25日 大河津分水路通水
 1968年(昭和43)5月13日 関屋分水路事業の起工式挙行
 1970年(昭和45)11月25日 越後線鉄橋開通
 1970年(昭和45)12月17日 有明大橋開通
 1971年(昭和46)4月25日 新潟交通電車線開通
 1971年(昭和46)5月20日 関屋大橋・堀割橋開通
 1971年(昭和46)6月30日 新潟大堰竣工・関屋分水路緊急通水態勢完了
 1972年(昭和47)8月10日 関屋分水路通水挙行 
 1974年(昭和49)11月16日 信濃川水門竣工
 1981年(昭和56)3月30日 締切堤竣工
 工事費 約190億円(2002年のお金に換算すると約500億円)
・分水路橋めぐり(橋の長さはパンフレットや橋台帳から抜粋)
 ・信濃川水門(本川大橋)
  竣工 昭和49年11月16日(昭和50年10月完成) 長さ122m
  信濃川は、この地点で信濃川と関屋分水路に分かれます。
  信濃川水門は、通常はゲートを上げた状態。
  大きな洪水の時には、ゲートを下げ洪水が信濃川へ流れるのをおさえ、
  洪水を関屋分水路に流すことにより新潟市を洪水から守ります。
 ・関屋大橋
  竣工 昭和46年3月 長さ278.7m
 ・有明大橋
  竣工 昭和45年12月 長さ252.1m
 ・掘割橋
  竣工 昭和46年5月 長さ222.4m
 ・浜浦橋
  竣工 昭和46年5月 長さ228.6m 
 ・新潟大堰(新潟大堰橋)
  竣工 昭和46年6月 長さ242.5m
関屋分水資料館の掲示板には、
「昭和53年6月26日の洪水で関屋分水路は、その威力を発揮しました。
もし関屋分水路がなかったら、洪水の全てが信濃川本川に流れて氾濫が起こったと
予想されます。
昭和53年6月26日の洪水の被害推定額は、2002年のお金に換算すると、
約5500億円で、金額的には関屋分水路は10倍以上の効果があったことになります」と。
普段何気なく散策していた関屋分水路。
台風9号の大雨にも威力を発揮し新潟の街を洪水から守ったことだろう。
関屋分水資料館を見学したことで関屋分水路が、新潟の街を守る大事な川であることを
認識した。

信濃川関屋分水路は (イラストを模写)