越後人の誇り大日本地名辞書と大漢和  辞典

kanazu362007-09-16

越後人の粘り強さを発揮し大辞書や大辞典を
完成させた男が、越後に二人いる。
一人は、大日本地名辞書を完成させた旧安田町保田の
吉田東伍、もう一人は、大漢和辞典を完成させた
旧下田村庭月の諸橋轍次
数年前に下田村庭月の漢学の里諸橋轍次記念館を訪れた。
9月7日、安田町保田の吉田東伍記念博物館を訪れた。 
吉田東伍と諸橋轍次の功績を記念館で知った。
・吉田東伍と大日本地名辞書
 ・元治元年(1864)4月14日旗野木七の三男として安田町保田で生まれる
 ・明治6年(1873)保田小学校入学
 ・明治14年(1881)「安田志料」を起稿
 ・明治17年(1884)吉田家へ養子・長女カツミと結婚
 ・明治25年(1892)読売新聞社入社「史海」を論評する
 ・明治28年(1895)「大日本地名辞書」起稿
 ・明治33年(1900)「大日本地名辞書」出版始まる
 ・明治40年(1907)「大日本地名辞書」完成
 ・明治42年(1909)文学博士に
 ・大正7年(1918)1月22日千葉県銚子町にて急逝(53歳9か月)
 大日本地名辞書は、吉田東伍が13年歳月かけ独力で編さんした。
 総文字数は約1200万字に達し、日本全土の「郷土」を集大成した全国地誌である。
 (取り上げられた全国の地名は約4万1000項目)
 初版は、1899年(明治3)3月から1907年(明治40)10月 全11巻
 第2版は、1907年から1909年 全5巻
 1969年から1971年 全8巻 
 1996年4月発行の全8巻は、定価16万円
 がある。
 出版社 冨山房
 東伍は、出身地をたずねられると「私は越後の百姓です」、学歴をたずねられると
 「図書館を出ました」と。
諸橋轍次大漢和辞典
 ・明治16年(1883)6月4日諸橋安平の二男として下田村庭月で生まれる
 ・明治29年(1896)四ツ沢尋常小学校補習科卒業
 ・昭和2年(1927)「大漢和辞典」の編さんで大修館書店と約定成る
 ・昭和18年(1943)9月「大漢和辞典」巻1発行
 ・昭和20年(1945)2月25日の東京大空襲で「大漢和辞典」全巻の組版
  資料を焼失
 ・昭和30年(1955)11月「大漢和辞典」の原稿完成、
  改めて「大漢和辞典」巻1刊行
 ・昭和35年(1960)5月「大漢和辞典」刊行完成
 ・昭和40年(1965)11月文化勲章を授与
 ・昭和52年(1982)12月8日老衰のため死去(99歳)
 大漢和辞典は、収録字数はおよそ5万字、昭和18年9月に第1巻が発行されたが、
 昭和20年2月25日の東京大空襲組版と資料を焼失。
 昭和30年11月新しい第1巻が刊行され、昭和35年5月に全22巻が完結し刊行
 された。
 出版社 大修館書店
大日本地名辞書は、吉田東伍が13年の歳月をかけ独力で編さんした。
大漢和辞典は、諸橋轍次東京大空襲組版と資料を焼失するというアクシデントにも
めげず33年の歳月をかけ完成させた。
出版社の冨山房や大修館書店の協力と越後人の粘り強さを発揮し大辞書や大辞典を完成
させた。
大辞書や大辞典は、今も多くの人たちに愛用されている。
機会があったら越後の誇る「大日本地名辞書」と「大漢和辞典」を見てみよう。

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