海岸林の枝落しと伐木で汗を流す

kanazu362007-09-23

汗を流すという言葉がある。
・一生懸命に身体を動かす
・労苦をいとわず働く
9月22日、新潟地域振興局林業振興課主催の
海岸の森林を未来へ引き継ごう「にいがた海の森の集い」に参加した。
会場ステージでは、新潟コカリナ合唱団の人たちがオカリナ演奏をしていた。
海の森とは、飛砂や強風を防ぐために、昔から人の手によって守り育てられた
海岸林のこと。
新潟市の海岸線の大部分を占める森林は、飛砂や強風を防ぐとともに、動植物の
生息する環境や地域のみなさんが自然と触れあう場の提供など多様な役割を
担っている。
海岸部の役割や大切さを知っていただくと共に身近な自然や森林と触れあうことを
目的に「にいがた海の森の集い」が開催された。
会場は、新潟市内の上新栄町会場と青山会場の2箇所。
参加者は、2会場合わせて約780人。
9時からオープニングセレモニーが始まった。
参加者は、森の手入れ(枝落とし・伐木)、植林・森の手入れ、森の手入れ(草刈り)
の3グループに分かれた。
私は、森の手入れ(枝落とし・伐木)グループを希望した。
作業会場の海岸松林に移動し10時から作業を開始した。
・新潟海岸の歴史
・江戸時代
 昔から、新潟海岸に風が吹けば「砂ふぶき」が起こり、何度も家が砂で埋まったり
 田畑の作物は砂に埋るなどの害に苦しめられてきた。
 歴代藩主は、その対策に頭を悩ませていた。
 ・「すだて」工法
  牛膓金七という町民が、竹やヨシで編んだ「すだて」を砂浜に立てて砂を止め
  砂丘を人工的に作り出し、風を弱めた。
 ・防砂林
  砂丘の後側にグミの木や冬でも葉の落ちないマツを植えて大きく育て、風と砂の
  被害を少なくした。
 ・川村修就新潟奉行の松の植林
  1843年川村修就新潟奉行は、海岸の木を切ることを禁止し、6年間で約3万本 
  の松の木を植えた。
  1851年には新潟の海岸全域に砂防林が完成した。
・明治時代
 新潟の町の人口も増え、住宅や学校や病院を建てるため多くの砂防林が切られ
 砂の被害もまた大きくなった。
 そんな中、新潟市湊小学校では、先生・児童・卒業生がお金を出し合い500本の
 マツの苗を植えました。
 これがきっかけとなり、マツ植えは新潟市内の小学生へと広がりました。
 明治44年には新潟市の小学生全体で植えられたマツは全部で1万本にもなった。
・昭和時代
 昔の人が、長い年月をかけて「すだて」工法やグミの木やマツの木の植林で砂の
 被害を抑えてきた。
 現在これらの木を「保安林」として県と市で管理している。
 平成17年度新潟地域振興局では、新潟市において約4万本のクロマツを植え
 砂を止めて「すだて」を約13000m作った。
責任者から作業方法について説明があった。
・手ノコギリを使い大人の肩から下の部位の松の枝落しをする
・3人1組で3列の松の木を担当する
・枝落しした伐木は道路脇に積み上げる
・チップ処理された伐木は道路反対側の松林にまく
気温が30度を超す猛暑の中、手ノコギリを受け取り松林に入った。
枝は、まだ太くなく簡単に切れる。
熱中症に氣をつけ水分を取りながら休み休み作業を続ける。
タオルを絞ると汗が滴り落ちる。
木陰に入り水を飲むと生き返った心地がする。
11時、枝落しと伐木が終了した。
「15分間バケツリレーでチップまきをお願いします」。
20人がバケツリレーで松林にチップをまいた。
「作業終了です。ごくろうさまでした」の声が。
参加者は、朝のセレモニーに戻り豚汁のサービスと記念品の「エノキタケ」もらい解散。
海岸林の枝落しと伐木でいい汗を流した。
イベントへの参加で、自然や森林と触れあうことでき海岸林の役割や大切さを知った。
汗を流し多くの人たちと語った有意義な一日は終わった。

一休み (イラストを模写)