良寛さん生誕の地出雲崎を歩く

kanazu362007-10-13

良寛さんは、1758年(宝暦8)出雲崎の名主兼神官
橘屋山本家の長男として生まれた。
来年(2008年)は、良寛生誕250年である。
10月5日、「歴史と文化の息づく美しい夕日のまち。
出雲崎」と書かれたマップを持ち良寛生誕の地出雲崎を歩いた。
出雲崎町
 江戸時代には幕府直轄の天領地となり北前船の寄港地、佐渡島からの金銀荷揚げの
 地として栄えた。
・妻入りの街並み
 江戸時代、天領出雲崎は間口の広さで税金を徴収していたので、妻入りの建築様式が
 作られるようになった。
 また、当時出雲崎は越後一の人口密度であり、そのため狭い土地の利用度も高く
 人口収容率の高い妻入りの建築様式が並び、街並みを形成した。
 出雲崎の妻入りの長さは、3.6kmにも連なっており、日本一の長さを誇っている。
・いずもざき海遊広場とフィッシングブリッジ
 出雲崎には多くの釣り人たちの集まる町でもある。
 浜辺には、いずもざき海遊広場があり駐車場も広い。
 駐車場前の石段に腰を下ろし遠く佐渡を眺めることができる。
 広場の脇には、T字型になったフィッシングブリッジがり、先端は横に広がった
 広場になっており釣りが楽しめる。
・おけさ源流の碑
 奥州丸山の領主佐藤庄司元治の未亡人「音羽御前」愛児の嗣信、忠信が源義経
 従って討死したことを悲しみ、せめて戦場の跡を見ようと旅立ちました。
 ようやく出雲崎にたどり着いたが、先の長い旅を思い断念し大字尼瀬の釈迦堂
 (現在の念相寺)で尼僧となり2人の菩提を弔っていたときの建久元年(1190)に、
 子供達が合戦で立派な最後を遂げたとの知らせを聞き、嬉しさのあまり尼僧たちと
 袈裟法衣のまま唄い踊ったのが「出雲崎おけさ」の起源であり、「袈裟―けさ―おけさ」
 となり、後年これが「おけさ」の源流になったと言われている。
 そのおけさ源流の地を記念して大字羽黒町に記念碑が立てられた。
 楽邦山念相寺は、民謡「おけさ」の源流、「音羽御前」の居住跡地で境内に石碑が建つ。
良寛
 良寛の生家橘屋の屋敷跡(当時は現在の境内の2倍はあったという)に良寛の遺徳を
 顕彰し良寛を偲ぶために、郷土史家佐藤耐雪翁が発案し、大正11年9月に竣工した。
 その後耐雪翁から出雲崎町に寄贈された。
 堂内には良寛が常に持ち歩いたという石地蔵をはめ込んだ多宝塔に「古にか貼らぬ
 ものはありそみとむかひにみゆるさどのしまなり」の良寛自筆の歌が刻まれている。
 良寛の母の国佐渡を背景に日本海に浮かんで見えるように設計されている浮身堂で、
 優美な建物である。
・夕凪の橋
 天領の里の裏手の海岸に、“知る人ぞ知る”デートスポット、“夕凪の橋”がる。
 この橋の手すりには、永遠の幸せを願ってカップルたちが鍵をかけて行く。
 また晴れた日には、夕日が素晴らしい場所なので、それもまたロマンチック・・・
 夕日を撮影するカメラマン達にも人気の場所である。
 越後出雲崎天領の里施設内の夕凪の橋は、老朽化による改修工事のため平成20年
 3月31日まで立入禁止となっている。
 このため、売店での愛の鍵の販売も現在は休止中。
良寛剃髪の寺(光照寺
 幼かった栄蔵は元服して文孝と名乗りましたが、青年期に移る18歳の年、仏門に
 その生き方を求めこの寺の住職玄乗破了和尚により剃髪し、名を良寛と改めた。
 国仙和尚に伴われ玉島円通寺に修行に出るまでの4年間を過ごした禅寺。
俳諧伝灯塚(妙福寺)
 細い小路を進み石段を登ると赤い山門がある。
 山門をくぐり境内に入ると俳諧伝灯塚が建つ。
 元禄2年(1689)7月出雲崎奥の細道の杖をとめて、一泊した芭蕉は「荒海や....」
 の名句を残した。
 その後、芭門二世の東華坊(各務支考)は二度までこの地をたずね、三世盧元坊もまた、
 ここに杖をとめて、感慨にふけった。
 出雲崎が生んだ俳人近青庵北漠は、宝暦5年(1755)三代にわたる俳人が当地で
 詠んだ句を刻して俳諧伝灯塚を建てたと伝えられている。
 新しい石碑は大正年間に再建されたものである。
芭蕉
 旧北国街道を石地方向に進むと街道左側に芭蕉園がある。
 元禄2年(1689)7月、芭蕉奥の細道の旅の杖を出雲崎にとどめ
 「荒海や佐渡によこたふ天の河」の名吟を残しました。
 昭和29年廻船問屋敦賀屋の跡地に芭蕉直筆の銀河の序を刻んで句碑にし、その周りを
 庭園として芭蕉園と名づけられた。
 園内には、俳句ポストが設置されており誰でもが旅の思い出を投句できる。
良寛記念館
 良寛生誕200年を記念して、郷土史家である佐藤耐雪翁の発起により、広く浄財を
 求め昭和40年に完成しました。
 平成17年、開館40周年をむかえ、リニューアルした。
 館内には良寛の遺墨、遺品、文献などが数多く展示されている。
 良寛記念館入り口左側に耐雪庵五合庵の模型がある。
 これは、昭和63年東京で良寛展が開催され時に展示されていたものを平成元年4月
 に移築再建した。
良寛と夕日の丘公園
 良寛記念館脇の石段を登ると視界が広がり日本海が。
 良寛の母の国佐渡が正面に、右手に弥彦山、眼下に良寛堂、出雲崎漁港、そして
 海岸線に沿って続く旧北国街道の妻入りの街並みを眺めることができる。
 昭和57年上越新幹線開通を記念し新潟県景勝100選が選定され、ここから見る
 日本海佐渡が一位に選ばれた。
 公園には、にいがた景勝百選一位地の石碑と子ども二人と良寛が語る「語らいの像」が
 建つ。
良寛生誕の地出雲崎を歩き、お寺の多い街には驚いた。

良寛さん (イラストを模写)