直江兼続公の城下町与板が燃える

kanazu362007-10-22

2009年のNHK大河ドラマは、
天地人火坂雅志著)」と決まった。
主人公直江兼続公は与板城主である。
今、直江兼続公の城下町与板が燃えている。
与板には1978年から3年勤務したので懐かしい町だ。
9月15日の「十五夜まつり」に愛の前立て兜を着け、白馬にまたがり槍を持つ
勇ましい姿の直江兼続公登場した。
像は、高さが約2.5m、素材は発泡スチロールと段ボールだという。
祭り終了後は、壊す予定であったが、出来栄えがよかったことなどから「地域が盛り
上がるよう多くの人たちから見てほしい」と長岡市与板支所(旧与板町役場)玄関前に
展示した。
10月18日像を見に与板を訪れた。
与板支所玄関前に、槍を右手に持ち両前足を立てた白馬にまたがる馬上姿の兼続公像が
建っていた。
脇には、与板城主直江兼続公と書かれている。
広場で「直江兼続公顕彰する会」の会員の人たちが、与板城主直江兼続公と書かれた
のぼり旗を準備していた。
副会長の山崎忠彌さんは、「大河ドラマ天地人の主人公与板城主直江兼続公と与板町の
ことを広く世間の人たちに知ってもらうため町に旗を立てます。
今日は70本立てます。
昔は、直江兼続公をNHK大河ドラマに推進する会でしたが、2009年の大河ドラマ
直江兼続公を描く天地人が決定したので今は、直江兼続公顕彰する会と名を変えました」と。
近くの標高104mの城山(与板城)に登った。
山の中腹に「おせん清水」と書かれた立て札があった。
兼続公の妻お船の方が愛用した清水だろうか。
作家童門冬二さんは小説「北の王国智将直江兼続」の中で、「お船」のことを書いている。
お船の父だった直江影綱は、兼続の母の兄にあたった。
だからお船は従姉になる。・・・
お船は、上杉家の重臣直江信綱の妻だったが、夫が事故死にあった。
他人の刃傷事件のまきぞえをくったのである。
直江の家の絶えるのを惜しんだ上杉景勝は、腹心の樋口与六を直江家に入れた。
後日のことになるが、直江兼続が死んだあと、上杉家ではお船を「女家老」として遇し、
三千石を供した。
他家にこんな例はない。
それも直江兼続の生前の功労に対しそうしたのではなく、お船自身の能力を評価したのだ。
兼続は「おぬしの家は猛女の家系だ」・・・
「あなたの母上がその代表だ」
上杉謙信が死ぬ時、枕もとで看護していたのは、お船の母、つまり直江影綱の妻ひとり
だった。 
影綱の妻は上杉謙信が死ぬ直前に「ご相続人は、景勝殿ですか、それとも景勝殿
ですか?」
ときいたのだ。・・・
兼続はそう思っている。
そしてそういう影綱の妻、つまりお船の母を、(まるで北条政子だ)と思う。
だから猛女だというのである。・・・
大河ドラマ火坂雅志の書く「天地人」では、お船はどんな奥方で登場するだろうか。
猛女だろうか、賢夫人だろうか、興味深い。
インターネットでお船の父直江影綱について調べた。
直江影綱(実綱)1509年?−1577年3月24日死去
越後与板城主、上杉四天王、上杉二十五将の一人。
長尾為景長尾晴景長尾景虎上杉謙信)の3代にわたって仕えた宿老で政治手腕が
優れていた。
永禄7年(1564)謙信のかつての諱(いみな)である「景虎」から一字もらって
景綱を名乗る。
大河ドラマ風林火山では、西岡徳馬さんが直江影綱(実綱)役を演ずる。
直江兼続の居城与板城(城山)に登り与板の町を眺めた。
2009年NHK大河ドラマ天地人」の放送決定で直江兼続公の城下町与板が燃える。

城山から与板の町を眺める (イラストを模写)