サケが遡上する川

kanazu362007-11-06

サケの遡上ニュースが新聞テレビに。
11月2日、記憶を辿りサケの遡上する川を訪れた。
信濃川 
 信濃川は367キロと日本一長い川。
 信濃川河口付近の新潟市舞潟に信濃川漁業協同組合の鮭採卵ふ化施設がある。
 施設入り口にサケの絵が描かれた大きな看板が立つ。
 看板には、「サケは新潟県では古くから親しまれ、人々の生活に溶け込んできた
 重要な魚です。・・・」信濃川漁業協同組合と書かれている。
 建物入り口左側に昭和60年9月1日建之の「鮭の供養塔」がある。
 事務所で話を聞いた。
 ・漁期は、10月20日から11月25日
 ・魚場は、信濃川の昭和橋から上流酒屋小学校までの7箇所
 ・漁獲量は、毎日100匹から200匹
 採取したサケは、生育度により選別され15個あるイケスの中に分けて入れられる。
 選別作業は3人で行う。
 オスメスを見分け選定者に見せる係り、サケを選定する係り、選定漏れのサケを
 タタク係り。
 サケの運命も選定者の一声で決まる。
 「色男」と「タタク」。
 係りが「オス」、選定者が「色男」。
 「色男」と言われたサケは、係りがイケスヘ。 
 「オス」「タタク」。
 「タタク」と言われたサケは、棒でたたかれ天国ヘ。
 イケスの中のサケは、時期が来るとメスから採卵しオスの精子をかけられ卵は、
 ふ化場で人口養殖され稚魚誕生の時を待つ。
 信濃川漁業協同組合では、採れたサケを加工し「鮭の燻製」として販売する。
・小阿賀野川 
 小阿賀野川は、旧新津市万願寺で阿賀野川から分かれ旧新津市覚路津で信濃川に合流
 するまでの約11kmの川。
 万願寺の小阿賀樋門(ひもん)近くに阿賀野川漁協同組合新津支部のサケ採取施設が
 ある。
 仕掛け網は左岸から右岸にかけ張られている。
 あいにくの小雨で漁をする人はいなかった。
 左岸の河原に事務所がある。
 桟橋の脇の網の中にサケが一匹入っている。
 ここで採れたサケは阿賀町にあるふ化場に運び採卵し、人口養殖する。
 同支部では毎年約30万匹の稚魚を放流する。
・大河津分水路 
 大河津分水路は、旧分水町5千石で信濃川から分かれ旧寺泊町野積で日本海に注ぐ
 までの約10kmの川。
 河口近くの野積橋付近に副堰堤がある。
 副堰堤の左岸に三本の魚道がある
 副堰堤の上で寺泊漁業協同組合の人が鮭漁をしていた。
 二人は三角網で、二人は投網で。
 運よく三角網でサケを一匹捕まえるのを見た。
 右岸には、寺泊漁業協同組合さけ採卵ふ化場がある。
・矢垂川(やだれがわ) 
 旧巻町福井地区を矢垂川が流れる。
 昔は、矢川から矢垂川にサケが遡上したという。
 河川の改修工事が進みサケの遡上が困難な状況になった。
 今、福井の矢垂川周辺はホタルの里として有名になった。
 昔の矢垂川のように「魚の上る川」を目指す「矢垂くらぶの会」の
 人たちの活動する姿が新聞に出ていた。
 地元住民は、昔のようにサケの遡上する川に復活させようと2004年から
 サケの稚魚の放流を開始した。
 矢垂川を訪れ川の様子を見た。
 川に段差があり今の状況ではサケの遡上は困難か・・・
 一日も早い魚道の整備を。
サケが遡上する川を訪れ、村上市の「イヨボヤ会館」を見学した時のことが甦った。
村上市のホームページに、
鮭が生まれた川に帰るということは良く知られていますが、この「回帰性」に世界で
最初に着目したのは、一人の越後村上藩士。
藩士の名は、青砥武平治(あおとぶへいじ)。
三両二人扶持の小身から70石の士分にまで昇進した男。
彼は今から250年前、増殖などだれも思いもおよばなかった鮭の自然ふ化増殖システム
「種川の制」を考案した。
これは、帰ってきた鮭が安心して産卵できるよう、三面川の本流をバイパスする河川を
作り、ふ化を助けようとするもの。
言わば「自然ふ化増殖システム」。
矢垂川にも三面川のように鮭の回帰する日の来ることを願う。

サケの選定 (イラストを模写)