果実の里白根を歩く

kanazu362007-11-09

果実の里白根市は、市の大部分が信濃川
中ノ口川に囲まれた果樹などが盛んな地。
特に「ル・レクチエ」の生産は有名。
2005年3月21日に新潟市に併合合併した
人口約4万の町。
11月5日果実の里白根を歩いた。
・JA新潟みらい農業協同組合白根支店
 JA新潟みらい農業協同組合白根支店を尋ね、平成18年の果実の生産高を聞いた。
 ・桃 612トン ・日本梨 2220トン ・西洋梨(ル・レクチエ) 404トン
 ・ブドウ 609トン 
 ブルーベリーやナツメの生産農家もあるが収穫量はわずかである。
・ル・レクチエ農家小池家
 地方紙新潟日報「碑は語る」で、“日本におけるル・レクチエ発祥の地”が出ていた。
 5日小池宅を訪れ美与志(78歳)さんに話を聞いた。
 洋ナシの栽培を始めたのは、祖父の小池左右吉(1867年―1955年)です。
 2代目は三郎、3代目が私で、4代目は私の長男正一です。
 正一は8年前にくも膜下出血で急死しました。
 5代目は、孫のゆかり(20歳)といいながらアルバムの新聞切抜きを見せてくれた。
 2007年7月4日の新聞切抜きには「政令市を耕す“にいがた若き農業人”」と題し、
 西洋ナシ小池ゆかり(20)さん南区東萱場が紹介されている。
 自宅前の道を挟みブドウ畑の1角に「日本におけるル・レクチエ発祥の地」の石碑が建つ。
 その脇に「西洋なしル・レクチエ古木」の看板がある。
 明治35年、当時の中蒲原郡茨曽根村で農業を営んでいた故小池左右吉氏は、
 ウラジオストクを訪れ、そこで高値で取引される西洋なしに注目、そして明治30年代後半
 頃に 原産地フランスから数品種の苗木を直輸入、栽培に取り組み、我が国で初めて
 果実を実らせました。・・・
 祖父の左右吉から始まった西洋ナシのル・レクチエの生産も、倅の正一の4代目で
 ようやく軌道に乗りました。
 3代目までは苦労苦労の連続でした。
 正一も苦労しやっと軌道に乗せこれからという時に亡くなってしまいました。
 5代目となるゆかりは、現在巻の新潟県農業大学校の研究科に通いながら西洋ナシの
 栽培に励んでいます。
 孫は、「父の夢だった観光果樹園を開くことが目標だといいます」。
 ブドウ畑入り口には夢半ばで亡くなった「小池正一観光農園」と書かれた看板がある。 
 家は、ブドウと西洋ナシ畑がそれぞれ70アールで、コメは生産していない。
 今年のル・レクチエの収穫は10月25日に終わりました。
 収穫もまあまあで8分くらいですが、今年は尻が堅くなる病気が発生しました。
 今は、貯蔵庫に保管されています。
 中ノ口川河川敷のル・レクチエ畑に案内してもらった。
 土手から畑を見下ろした。
 小池さんの畑には、ル・レクチエはもうない。
 白い袋が3個。
 「やはり取り残しがあったか」といいながらもぎ取った。
 「1個ずつ新聞紙に包み、日のあたらない場所で保管すればクリスマス頃には
 食べられますよ」
 と、もぎたてのル・レクチエをプレゼントされた。
 隣の畑には、袋のかぶっていない緑色で堅いル・レクチエがたわわに実っている。
 デジカメに撮った。
春先には中ノ口川の萱場橋付近で桃の花を梨の花は信濃川の大郷橋付近で見た。
5月12日には、次郎右エ門興野でブルーベリーの木を、10月18日には西笠巻新田で
ナツメの実を見た。
春は果樹の花が咲き、夏から秋にかけ桃・ブドウ・梨等の果実がたわわに実る果実の里
白根。
春は花に囲まれ秋は果実に囲まれる白根。
果実の里白根を歩くのも楽しい。
収穫の喜び (イラストを模写)