犬も歩けば棒にあたる“入館6万人目  です”

kanazu362007-11-28

「犬も歩けば棒にあたる」ということわざがある。
動き回っているうちに思いがけない幸運に出会うという
たとえにも使われる。
「温故知新」“故きを温ねて新らしきを知る”の世界を求め、
毎日のようの街を歩く。
11月27日、坂井輪郷土を語る会主催の、動く市政バスを利用して西蒲原の歴史資料館
巡りに参加した。
参加者は会員など26名(男14・女12)。
9時30分坂井輪公民館出発。
新潟市郊外の越後平野はのどかである。
大空に白鳥が舞い、田圃では白鳥の群れが餌をついばんでいる。
・澤将監の館(旧中之口村)
 団体の先頭を切って館の表門をくぐった。
 門内にいた人が突然「おめでとうございます。貴方が入館“6万人目の人です”」と。
 写真に収まり記念品を贈呈された。
 記念品の袋には「6万人入館達成記念“おめでとうございます”
 平成19年11月27日澤将監の館」と書かれている。
 記念品は、「ビデオテープ“平成に甦った大庄屋澤将監の館・中之口村”」と
 「中之口音頭が染め抜かれた手拭い一本」と「追録中之口村誌」の3点。
 澤将監は澤家の先祖にあたり、本来は甲斐の国武田信玄の家臣として仕えていた。
 武田氏の滅亡後、上杉氏を頼って越後に入り、慶長17年(1612)現地に来往。
 暴れ川の信濃川中ノ口川流域の低湿地帯であった打越村の開墾に尽力、低湿地帯に
 囲い土手を築いて、悪水を排除しながら2000石の村にした。
 元和2年(1616)に村庄屋に、慶安2年(1649)には大庄屋に任命。
 大正に入ると一家は転居、館は荒れていった。
 澤家は昭和56年(1981)15代政一の死去で廃絶。
 15代目の澤政一は、新潟大学の教授で中之口先人館に威徳が紹介さられている。
 澤将監の館は、総事業費7億3900万円をかけ平成6年6月に完成、同年8月1日に
 開館した。
 館は、子孫が残した家相図を基に正確に復原された。
 石高五千石とも言われた大庄屋の偉容を誇る表門は、総茅葺この屋根。
 正面に向かって右側に武者窓があり、左側には農民へのおふれ書きなどを掲示した
 高札場跡も残っている。
 宝蔵の2階には、武将であった証の武具等が飾られている。
 駐車場から表門に通ずる大門の両側は松並木で松の大木が茂る。
 数年前までは、母屋入り口右側に澤将監の館のシンボルだった、樹齢400年と推定
 される「澤将監手植えの松」が 参観者を出迎えていたが枯死してしまい、今は残された
 根元のみが往時の姿を偲ばせる。
 表門左側の小山に屋敷神として「白菊稲荷」が祀られている。
・中之口先人館(旧中之口村)
 先人館入口前には相撲やぐらと土俵がある。
 建物の屋根には弓が飾られる。
 先人会館の半分は、第36代横綱羽黒山政司のコーナーとなっている。
 横綱羽黒山の入門誓約書と力士検査合格証が飾られている。
 驚いた。
 誓約書には入門時から「羽黒山事小林正治」と立派な四股名羽黒山」が書かれている。
 先人館には、中之口村出身で様々な分野で活躍された26人の威徳が紹介さられている。
 ・文学博士小柳司気太・東映映画創設者大川博
 ・赤沢保育園のおばあちゃん先生赤沢ナカ
 ・世界最高記録鶏を作出した養鶏家永塚大佐久等など。
 越後の出稼ぎコーナーには、新潟県出身者の多い職業として
 ・築地の魚河岸関係―小国町など刈羽郡出身が多い
 ・古本屋―長岡市出身が多い
 ・豆腐屋湯之谷村など北魚沼郡出身が多い
 ・風呂屋―中之口村など西蒲原郡出身が多い
 村出身の成功者は、男は宇智古志神社に女は打越小学校に寄進したという。
 横綱羽黒山も16歳で上京し、伯母の経営する両国の朝日湯で働いた後に相撲界に
 入った。
 入門時のエピソードとして、立波親方の「相撲取りになっても親孝行できる」の一言に、
 入門を決意する。
・樋口記念美術館(旧潟東村)
 樋口記念美術館は、潟東村出身の樋口顕嗣氏が寄贈した絵画・彫塑・陶芸品・漆芸品・
 貴金属類を収蔵、展示公開するため、昭和45年12月に開館した。
 氏は、明治19年5月11日潟東村今井の農家に生まれ明治44年25歳の時に妻を
 伴い一大決心で上京して、大八車を借りての「曳き売りの八百屋」から身を興し現在の
 「東京荏原青果」を創業、成功を収め昭和50年2月3日92歳で死去した。
 2階の絵画コーナーに「小絲源太郎の風景画」「藤田嗣治の猫」「小林古径のバラ」
 など有名画家の作品が飾られている。
 美術館には400点をこえる美術品が飾られている。
澤将監の館の開館から6万人までの入館者の動向を調べた。
開館は、平成6年8月1日。
1万人目が平成6年11月・2万人目が平成8年5月・3万人目が平成10年9月・
4万人目平成13年6月・5万人目が平成16年7月。
そして6万人目が平成19年11月27日。
「犬も歩けば棒にあたる」ということわざが正夢になった。
“故きを温ねて新らしきを知る”の世界を求め、毎日のように街を歩き続けたことが、
入館6万人目という夢のような幸運に遭遇。
“驚きと感激!”
これからも犬のように毎日街を歩き続ける。

6万人目です (イラストを模写)