民俗資料館巡りで昔懐かしい農具を見る

kanazu362007-11-30

11月21日の新聞に、“苦難の時代物語る農具”展示の
記事を見つけ、民俗資料館3館を訪ねた。
・農産物直売所「にしかん」展示場(旧岩室村新谷)
 農産物直売所を管理する井田忠三(72)さんが、
 20年かけてこつこつと集めた昔懐かしい農具約60点が陳列されている。
 ・代かき機・苗揚げ舟(苗代用)・害虫取り舟・収穫用デコ・モントシ・カテドシ
 ・野良着・ワラジ・フカグツ・ミノカサ・荷かつぎ用荷縄・コスキ・俵編み機・
 ・牛の鼻鐶・籾かき・田植甲縄・ワラスグリ・・・等など。
 見学していた老人が、農具を見ると辛かった昔を思い出し見るのが辛いと。
・佐藤家民俗資料館(旧巻町福井)
 新谷の展示場を見ていると、老人から声をかけられた。
 「福井の斉藤です。民具好きですか。私のところでも沢山展示しています。見ますか」
 斎藤さんとは、福井に住む斉藤文夫(74)さんで「角海浜物語―消えた村の記録」
 の著者。
 昨年12月巻町郷土歴史資料館で開催された「角海浜村と毒消しの里展」で知り合った
 人だった。
 斎藤さんが管理する福井の旧庄屋佐藤家を訪ねた。
 遠くから茅葺の建物が見えた。
 茅葺の民家が佐藤家である。
 屋敷入口に「旧庄屋佐藤家」と書かれた看板があり、玄関には「佐藤幸七」の表札が
 掲げられている。
 母屋の隣の農作業場には「佐藤家民俗資料館」の看板も掲げられている。
 母屋に案内された。
 囲炉裏は薪が燃え、天上からは自在カギが下がり鉄瓶のお湯が沸いている。
 1階は、16畳間・12畳間・8畳間の3部屋がある。
 2階は、6畳間が2部屋ある。
 2階の6畳間の壁に佐藤家を描いた絵が掲げられている。
 絵は、雪国の民家を描く画家として知られる早津剛さんが仲間と一緒に写生に訪れ、
 その時に仲間の中川清さんが描いたもの。
 佐藤家は昔、峰岡三根山藩)の殿様が山遊びの帰りには、必ず立ち寄ってお茶を戴き
 一休みしたところといわれている。
 庭もすばらしく、二階から見るや弥彦山や田園風景に心が癒される。
 最近庭に、中原道夫(新潟日報の俳句選者)さんの句碑が建立された。
 佐藤家民俗資料館も案内された。
 昔、佐藤家や福井地区周辺の農家で使われていた農具や民具を斎藤さんが整理され
 陳列されている。
 特徴は、写真家であった斎藤さんが昭和20年・30年代に撮影した、農民が農具や民具を
 使って農作業する姿の写真も一緒に飾られていることだ。
 写真と農具や民具から昭和20年・30年代の農民の暮らしが、伝わってくる。
 佐藤家は農家であつたが、大正時代には福井地区の名物である「ゆべし」の製造販売も
 行なっていた。
 その時の看板や包装紙が写真で残されている。
 福井の「ゆべし」の由来が書かれている。
 「ゆべし」が福井地区に伝えられたのは、江戸時代の文政12年(1829)のこと。
 冬の豪雪で旅に苦労していた京都の雲水を村人が助けたときに、お礼として「ゆべし」 
 の製法が伝えられたと。
 文献には、安政5年(1858)に、徳川14代将軍家茂公にも献上されたと。
・潟東歴史民俗資料館(旧潟東村三方)
 歴史民俗資料館2階は、民俗資料コーナーとなっている。
 鎧潟コーナーと米作りの里の農具や民具など約400点が陳列されている。
 鎧潟は、昭和41年4月国営事業として悪水が新川に排水され干拓され乾田化された。
 惜しまれつつその姿を消したあり日の鎧潟を偲ぶ鎧潟コーナーがある。
 ・小てん舟・生簀(いけす・フナや鯉を生かしておく入れ物)・稲積船
 ・漁(人が隠れて鉄砲で鳥を撃つ)・カニ網(エサを入れ川カニをとる)
 ・カブセ網(魚の入ると思うところへ上からかぶせた)・ぬか海老取り大網
 ・鮒たつべ(エサを入れ小魚をとる)
 等など懐かしい農具や民具が。
 低湿地帯で悪水と闘い農業に励んだ農民の苦労が、農具や民具から伝わってくる。
民俗資料館を訪れ、昔懐かしい農具や民具を見ると農具や民具の中に母の姿が甦る。

あの農具で母が (イラストを模写)