地球の出と入りと米納津隕石

kanazu362007-12-03

11月29日の新潟市の大空に「ひつじ雲」が
空一面に広がり夕日に映えた。
大空の話題「地球の出と入り」「米納津隕石」
「漂う宇宙観壮大を描く漆絵展」が、新聞に。
・地球の出と入り
 11月13日宇宙航空研究開発機構が、月を周回中の衛星「かぐや」のハイビジョン
 カメラで撮影した月の地平線からの「地球の出」と「地球の入り」の画像を公開した。
 発表によると、月からの地球の出の画像は、アメリカのアポロ11号が1969年に
 動画撮影して以来。
 地球の出や入りをハイビジョンカメラでとらえたのは初めて。
 画像掲載の新聞解説記事には、
 ・地球の入りの画像
  望遠レンズズを使い撮影。
  画像から切り出して連続に並べた画像は、南極を上に向けオーストラリアなどが
  写った青い地球が、月の南極付近の地平線に沈む様子が鮮明に分かる。
 ・地球の出の画像
  広角レンズズを使い撮影。
  荒涼とした月の北極付近のかなたに、地平線から昇りきった青い地球が浮かんでいる。
 NHKでは11月14日「探査機“かぐや”月の謎に迫る!地球の出をちらえた」を
 放送した。
 放送は観れなかったが、インターネットで画像を配信するサイトを見つけた。
 「はやぶさまとめニュース」の中に松浦晋也の「探査機“かぐや”月の謎に迫る」が、
 実況スレでキャップされていた画像を、かぐやスレの住人がスライドショー形式に
 してくれました。
 雰囲気だけでもつかみたい人はこちらと。
 音楽が流れ「地球の出と入り」の画像が、スライドショー形式でパソコンの画面に映し
 出される。
 11分間の月の世界が・・・
 すばらしい「地球の出と入り」の画像に感動した。
・米納津隕石
 11月18日の新潟日報「碑は語る」は、米納津隕石だった。
 夜空を駆ける一筋の光「流れ星」は、そのほとんどは大気の摩擦で燃え尽き地上まで
 達するのはほんの一握りにすぎない。
 今から170年前、天保8年(1837)の旧暦6月11日夕、旧富永村(現燕市)の
 田圃に落ちた。
 旧暦6月11日を新暦に直すと7月13日。
 隕石は長く地元の庄屋田辺賢吾が保管していたが、明治32年(1899年)1月から
 東京上野の帝国博物館(現国立科学博物館)が保存し展示している。
 国内6番目に落ちた米納津隕石の落下地点は、北緯37度41分・東経138度54分。
 重量は、31.65キロで国内3番目。
 11月21日、小雨の中「米納津隕石の碑」を訪れた。
 碑は、燕市富永の田圃の中にあった。
 碑は、昭和37年(1962)11月10日建立。
 「米納津隕石の碑・西暦1837年7月14日午後4時西方よりこの地に落つ」
 畦道の脇の標柱には、燕市文化財米納津隕石落記念碑 昭和42年2月13日指定
 燕市教育委員会
 碑の上部には、隕石のレプリカが飾られている。
・漂う宇宙観壮大を描く漆絵展
 宇宙をテーマに壮大なスケールで漆絵を描く画家がいる。
 加茂市出身の画家中村謙二さんだ。
 12月2日まで新潟市秋葉通りの武田画廊で「中村謙二漆絵展」が開催されていると
 聞き1日観てきた。
 会場で作者と面談した。
 子どものころから絵が好きで絵の世界に入った。
 漆の世界の魅力に引かれ漆絵を描くようになった。
 今は宇宙をモチーフにして描く。
 今回新聞に紹介された「紫雲」は、惑星が漂う壮大なスケールの宇宙を惑星と紫雲で
 表現した。
 惑星は、螺鈿(らでん)で、紫雲は、漆を細い線で掘り込みそこに紫色を塗り込み
 雲が流れるようにイメージしたと。
 他にも「失われた時」では、宇宙にインカ帝国遺跡を取り込み、「環聖の領域」では宇宙に
 アンコールワット遺跡を取り込み表現したと。
大空には宇宙からの贈り物「ひつじ雲」「地球の出と入り」「隕石」「紫雲」などの
ロマンが・・・
大空を見上げる (写真を模写)