銅像と歌碑

kanazu362007-12-08

戦前の小学校の校庭には「薪を背負って本を読む」
少年時代の二宮金次郎の像があった。
時を同じくして新聞・テレビに銅像等の話題が出ていた。
・柏崎トルコ文化村のトルコ建国の父「ケマル・アタチュルク像」
 (12月3日NHKテレビ)
 柏崎トルコ文化村は、平成8年(1996)7月27日オープン。
 開園式にトルコの文化相が出席、トルコ建国の父「ケマル・アタチュルク初代大統領像」が
 寄贈された。
 閉園と再オープンを繰り返してきたが、新潟県中越地震の影響で平成17再び閉園した。
 現在は、上越市の会社が所有し結婚式場として利用されている。
 「ケマル・アタチュルク像」は新会社に引き継がれそのまま展示されていた。
 しかし、今年7月16日の新潟県中越沖地震で「像が傾き、倒壊する恐れがあった」
 との理由で、像は台座から外され放置されている。
 一刻も早い修復を求める請願書が在日トルコ人から柏崎市に提出されたとテレビで。
浦佐駅の元総理大臣田中角栄の像
 JR浦佐駅前広場に右手を上げ、左手をホケットに入れた元総理大臣田中角栄銅像
 建立されたのが、昭和60年(1985)。
 賛否両論の中、平成17年(2005)銅像に「フードカバー」が設置された。
・別府の油屋熊八の像(12月3日日刊スポーツ)
 別府観光の父油屋熊八(1863−1935)の銅像が、JR別府駅前広場に建立された。
 熊八は全国に先駆け女性バスガイドを導入し、別府市の温泉観光の礎を築いた実業家。
 銅像は、高さ約3m、台座を合わせると5m近い高さ。
 左足を少し持ち上げ片足で立つ奇抜なポーズ。
 制作した彫刻家の辻畑隆子さんは「両手を広げて天国から舞い降りて来る姿をイメージ。
 市民や観光客に親しまれる像になってほしい」と。
・鹿児島の西郷隆盛銅像(12月4日新潟日報
 ことし建立70周年を迎えた鹿児島市城山町西郷隆盛像に、大島紬で作った巨大
 マントを着せ“古希祝い”をしたいという計画に対し、銅像管理者の市は4日、
 「公園利用者が本来の姿形を自由に鑑賞する行為に支障を及ぼす」などの理由で、銅像
 使用の不許可を決定した。
 計画した地元団体は、「鹿児島が無理なら東京上野公園の西郷隆盛像にマントを着せて
 みたい」と。 
新潟市亀田郷土地改良区の元理事長佐野藤三郎の胸像(12月6日新潟日報
 6日の新聞に、亀田郷土地改良区の元理事長、故佐野藤三郎さんの功績をたたえ胸像が
 亀田郷土地改良区の正面玄関に設置され除幕式が行なわれたと。
 6日亀田郷土地改良区を訪れ胸像を見た。
 台座の側面に功績が書かれている。
 佐野藤三郎氏は、昭和30年、若干32歳にして、理事長に就き、平成6年まで40年
 に亘り、亀田郷土地改良区を牽引してきた。・・・
 亀田郷の開拓と発展に心血を注がれた多くの先人たちの叡智と努力に敬意を表し、
 その功績を末永く語り継ぐためにこの像を制作する。
 平成19年11月吉日 亀田郷土地改良区
 胸像は75センチ、台座は110センチ。
 台座には佐野さんの揮ごう「夢」が掲げられている。
・新津秋葉公園の新津小唄の歌碑(11月20日新潟日報
 秋葉公園山頂広場の仏舎利塔脇に「新津小唄」の歌碑が建立され11月17日除幕式が
 行なわれた。
 12月5日、小雪が舞う人気のない秋葉山に1人登り「新津小唄」の歌碑を見た。
 詩は、昭和7年(1932)新津町を訪れた野口雨情氏に三業組合が依頼し作詩された。
 迷ふちゃいやです 新津の駅は 西に東に北南 心こまかに 汽車が出る
 で始まる新津小唄、詩は全部で11ある。
 ・新津の駅のほかにも・新津の花・阿賀野川・新津貯水池・油田・蒲原平野
 ・小合の牡丹・秋葉の幸清水・秋葉山など昭和初期の新津の風景が歌いこまれている。
銅像に先人の苦労と功績を偲び、歌碑に懐かしい故郷を思う。
銅像を見る (イラストを模写)