木を植える

kanazu362007-12-10

12月4日のNHKハイビジョン特集
「花を植える老夫婦の5年後・秩父山中
花のあとさき ムツばあさんの秋」を観た。
小林ムツさんと夫公一さんが、人生最後の
奉仕として、先祖代々耕してきた畑に
「使えなくなった畑を放っておくのは申し訳ない。せめて花を植えて山に還したい」
「この村に誰もいなくなっても、人が訪ねてきた時花が咲いていたら、どんなに
嬉しかろう」と。
そこに花やモミジを植え続けて来た。
秩父市吉田町太田部楢尾、かつては林業と養蚕で栄えた集落。
5年前9人いた住民も今では6に減った。
2006年9月に夫の公一が亡くなり84歳のムツさんが1人で荒れた畑を守る。
最後の畑も山の自然に返すときが来たのだと、山桃の苗木を植える。
老いた身で山道の共同道普請に参加するムツさん。
「疲れたから休んでいく」と。
畑がイノシシに荒らされ壊された囲いの後始末をしながら「自分達人間が、
イノシシ達の食料となる木などを切り倒して炭を焼き、跡地に杉ばかり植え、
山の動物達の食糧を奪って来た。だからイノシシも可愛そうだ」と。
夏のある日、荒れた山中でつるに覆われ藪と化した畑の下草中に脳梗塞で倒れ、
今は入院生活中・・・
夫婦で山に還したモミジの木が大きく育ち、紅葉したモミジが山肌に映える。
集落の総代は「このモミジの木は、やがて楢尾のシンボルになるでしょう」と。
ムツさんの姿に、昔、植林をしたときの思い出が甦った。
村松町蛭野の杉の植林
 昭和41年(1966)11月5日、職場の奉仕活動で村松町蛭野の白山山麓
 杉の木を植林した。
 雨の降る中、山の斜面に杉の苗を植えた。
 植林は初めての経験だった。
・黒川村胎内平の植樹祭
 「第23回植樹祭」は、昭和47年5月21日黒川村胎内平で天皇皇后両陛下を
 お向かいして開催された。
 新潟に勤務していたとき植樹祭に参加した。
 参加記念品は、ウラジロモミの木の苗木であったような気がするが定かでない。
村松町愛宕山の地方育樹祭
 五泉に勤務していた平成3年(1991)4月24日村松町愛宕山で開催された
 地方育樹祭に参加した。
 参加記念品は、雪椿の苗木だった。
新潟市上新栄町海岸保安林の松の木の枝打ち
 平成19年9月22日、新潟市上新栄町海岸で実施された砂防保安林松林の枝打ちと
 下草刈り作業に参加した。
・庭の植樹
 昭和57年(1982)9月23日新築家屋が完成同26日引越しした。
 妻の母からお祝い金3万円が届いた。
 お祝い金で記念樹を植えることにした。
 苗木は「サザンカ12本」「赤もみじ」「月桂樹」「アオキ」の計15本。
 25年の時が、記念樹を大きく育てた。
 サザンカは、秋には赤と白の見事な花を咲かせる。
 赤もみじは、春から秋まで赤い葉を茂らす。
 月桂樹とアオキは一年中緑の葉を茂らす。
小林ムツさんが、最後の畑に植えた山桃の苗木も倒れたムツさんの背丈を超えるまでに
成長した。
ムツさんの「せめて花を植えて山に還したい・・・」の言葉に、昔、木を植えた思い出が
甦った。
母の郷、上越市宇津尾集落は山の中。
祖父も毎年山に杉の苗を植えていた。
宇津尾は今5世帯8人、秩父市吉田町太田部楢尾と同じ限界集落
限界集落とは、65歳以上の高齢者が人口の半数を超え、共同生活の維持が困難な
集落を指す。
人が去り、60年前祖父が植えた山の杉の苗は、今どうなっているだろうか・・・

木の枝打ち(イラストを模写)