画集を楽しみ御幣稲荷神社を参拝

kanazu362008-01-29

東京江東区無形文化財に登録されている
開運招福の神社として知られる「鷽飼(ウソカエ)神事」
が、24日亀戸天神で始まった。
神社に飾られたウソの置物を新しい物に取り替えることで、
「凶をウソにして吉とトリ替る」とされ一年の開運招福を祈る伝統の行事と新聞に。
1月12日「移り変わる風景・みなとまち新潟」展の会場で注文した鍋谷拍洋画伯の
画集(新潟日報事業社刊)が届いた。
・画集
 画集には、鍋谷拍洋画伯が1932年から1935年にかけてみなとまち新潟を描いた
 100枚の絵が掲載されている。
 76番は「青山稲荷神社」である。
 皆川袈裟雄さんが、昨年6月12日の新潟日報で青山稲荷神社の絵を解説している。
 「青山稲荷神社は幾重にも連なる真っ赤な鳥居が印象的ですね。あれだけ多くの鳥居が
 あるんですから、とても信仰が厚かったんでしょう。
 青山というとすぐに関屋分水路が思い浮かびます。1972年(昭和47)の通水
 ですから、この絵のころは存在していません。この分水路がなかったら・・・・」と
・青山稲荷神社(御幣稲荷神社)
 絵に魅入られ21日御幣稲荷神社を参拝した。
 地元の人は、「青山のお稲荷さん」と愛称を込めて呼ぶ。
 旧国道116号線青山稲荷前バス停脇に御幣稲荷神社がある。
 石の鳥居をくぐると赤い鳥居が120基(昔は360基余もあったと)も延々と続く。
 鳥居を抜けると階段がある。
 左側に「御幣稲荷神社由緒略記」と書かれた大きな石碑がある。
 ・御祭神:宇迦能御魂神(うがのみたまのかみ)
 ・御鎮座:当神社は御幣稲荷神社と称し奉り、創立は遠く源頼朝公が天下を掌握せし
       鎌倉時代の建久4年(1193年)頃であると口碑に伝えられている
 ・御信徳:人民の生業を御授け下さる御神徳は、広大無辺の大神で、人類生存上欠く
       ことの出来ない、衣食住の守護神である
 御幣稲荷神社は 橘崑崙が江戸時代に著した「北越奇談」に伝えられるいたずら好きの
 キツネを題材にした昔話、「青山の五平狐(キツネ)」にゆかりの神社とされている。
 境内を歩き拝殿へ。
 左右の板壁に「必合格」「志望校合格」等と書かれた絵馬が多数掲げられている。
 本殿の壁には「2月3日節分」の貼り紙が。
・昔話「青山の五平狐」
 ある夏のこと、赤錆村(旧西蒲原郡巻町)の庄屋、藤次右ェ門という人が、新潟へ出かけ、
 帰りに青山の砂山を通りました。
 庄屋さんは、少し休んでいこうと木陰へ入り、くさむらでオシッコをしました。
 すると、そこで寝ていたキツネが驚いて飛び出し、庄屋さんをにらみました。
 庄屋さんもこれは有名な青山の五平狐ではないかと驚き、キツネに向かって必死に
 あやまりました。
 すると、キツネは石地蔵を背負って立ち上がり、赤ちゃんをおぶった娘さんに化け
 ました。
 庄屋さんが肝をつぶして化かさないでくれ、と頼みますと、娘は「変な人ですね」と
 笑って、近くの家の中へ入ってしまいました。
 庄屋さんもあわてて家の中へ入り、訳を話しますと、家の人は怒って「娘に化けるとは
 とんでもないキツネだ。尻尾を出せ!」と、娘をしばってお尻を火であぶりました。
 ところが娘は苦しみながら死んでしまい、尻尾を出す気配もありません。
 庄屋さんはののしられ、領主へ訴えられて打ち首になってしまいました。
 庄屋さんが切られた首をたがいて(抱え)歩いていくと、蓮の花の咲く極楽浄土のような
 ところに辿りつきました。
 ああ、これが極楽、と感涙にむせびながら、さて、どの蓮の葉に乗ろうかと池の中で
 もがいていると、笑い声が聞こえてきました。
 気がつくと、庄屋さんは新潟の寺の池の中で震えていたのでした。
絵は75年も前に描かれたもの、75年の月日が周りの風景を大きく変えた。
1枚の絵から「移り変わる風景・みなとまち新潟」の様子が伺える。

お稲荷様にお参り (写真を模写)