旧新潟町の小路を歩きその由来を知る
新潟工科専門学校生が制作した「新潟古町の街並み」の
500分の1模型が、新潟の地下街「西堀ローサ」で
展示された。
2月17日模型を見たあと旧新潟町の小路を歩いた。
店の前に「ご自由にお持ち下さい」とチラシやパンフレットが置いてあった。
「にいがたの『小路』名称の由来」のパンフレットを見つけた。
パンフレット(平成14年6月発行)を開くと、表は「旧新潟町の主な小路」裏は
「旧沼垂町の小路」が記載されている。
小路の名称と由来も書かれている。
・「新潟古町の街並み」模型
新潟工科専門学校生6人が授業時間や放課後を利用して約6カ月間かけ、古町の
町並みを500分の1縮尺で「小さな古町」として再現した。
模型の製作開始から完成までの過程が3枚のパネルに書かれている。
・住宅明細図を500分の1に縮尺しプリントアウト
・スタイロフォームを切る
・スタイロフォームをパネルに貼り付ける
「雪化粧した小さな古町」が、西堀ローサの地下街の一角に。
・旧新潟町の主な小路と名称の由来
・旧新潟町の主な小路
江戸時代の初め、新潟町は現在の東中通よりも海岸よりの地にあったが、阿賀野川が
信濃川に合流すると、湊が浅くなって使えなくなったため、移転工事を開始した。
町の移転が一段落したのは、明暦元年(1655)であった。
この移転した場所が現在の新潟市の中心である。
新しい町並みは、上が白山神社境内地、下が洲崎町(古町通13番町)まで、幅は
現在の上大川前通から西堀までの間であった。
パンフレットに記載されている小路は、白山神社前の古町通1番町のピンチャン小路から
洲崎町の古町通13番町の斎川小路まで35もある。
・小路名称の由来
「鍛冶小路」「新津屋小路」「柾谷小路」「坂内小路」などは、聞いたことのある小路だ。
・ピンチャン小路:江戸時代の絵図にはなく、明治になってできた小路。
小路の中ほどに鍛冶屋がありそこを通ると金槌の音が
聞こえたことからその音をもじっという説。
・鍛冶小路:鍛冶屋ではなく、屋号か姓から付いた小路と思われる。
・新津屋小路:新津屋小路堀という堀の両側に付けられた小路であった。
・柾谷小路:江戸時代、本町通とこの小路の角に柾屋四郎右衛門の屋敷が
あったので、この名になったと思われる。
・坂内小路:江戸時代、本町通のこの小路の上手に坂内利兵衛の屋敷、下手に
利兵衛の外屋敷があったので、坂内小路と呼ばれたと思われる。
・甚九郎小路:江戸時代からの小路名であるが、名のいわれは不明。
新潟言葉出「ぜんくら小路」「ずんくら小路」などと発音される。
・斎川小路:江戸時代、東堀とこの小路の角に斎川四郎兵衛の屋敷があったので、
斎川小路と呼ばれたらしい。
などなど。
・番外:ふるきよき日本の原風景をミニチュアで再現
ふるきよき日本の原風景をミニチュアで再現する人がいる。
・第二の人生は趣味でミニチュアの古民家の模型(100分の1)
田中征四郎(長岡市古正寺・63)さんは、定年退職後趣味でミニチュア古民家を作る。
これまでに「目黒邸(魚沼市)」「白川郷(岐阜県)」など古民家の模型21棟を手掛けた。
「まずは60棟作るのが目標」と。
・京都醍醐寺五重塔(国宝)の模型(10分の1)
橋場幸男(上越市・50)さんは、8年かけて高さ3メートルの京都醍醐寺五重塔の
模型を制作した。
完成した模型は、「建築を学ぶ若者の役に立ててほしい」と2月27日、
上越総合技術高校に寄贈。
本町通りの下町の小路には、「小路の名前と由来」が書かれたプレートが掲げられている。
大通りに隠れた下町の小路に、昔の新潟を支えた懐かしい暮らしと姿がまだ残っている。
昔の新潟の姿を探しに旧新潟町の小路を一日がかりでゆっくりと散策したい。
昔この小路では (イラストを模写)