有願和尚遺墨展と興教寺奉納大瓦対展

kanazu362008-03-18

新聞と市報で「有願(うがん)和尚遺墨展」と
「興教寺奉納大瓦対(がつい)展」の開催を知り、
3月16日2会場を訪れた。
・「有願和尚遺墨展」(新潟市白根・白根学習館)
 有願和尚(1738から1808)は、
 元文3年」(1738)代官島村(現三条市)の庄屋・田澤孫右衛門の長男として生まれた。
 得度の師は巻町仁箇(現新潟市仁箇)万福寺9世・悦厳素忻和尚。
 青年期に江戸、群馬、千葉、岡山、姫路などを行脚し、天明年間(1781〜1788)の
 はじめに帰国し、後に燕の万能寺の6世住職になり、晩年は旧白根市新飯田の円通庵
 で過ごし、子どもたちに読み書きを教え「有願(うがん)」さんと呼ばれ親しまれたという。
 良寛(1758から1831)さんとの交流も言い伝えられ、良寛さんの生き方にも
 多大なる影響を与えたとも云われている。
 有願和尚が晩年を過ごした旧白根市新飯田近くの白根学習館で、江戸時代の禅僧・
 有願和尚の没後200年記念遺墨展が開催されている。
 有願和尚は書や墨絵など多くの作品を残した。
 目録を見ると会場には、155点の遺墨が飾られている。
 ・32番の六曲屏風一双 十六羅漢図画賛 右双 
 ・33番の六曲屏風一双 十六羅漢図画賛 左双 
 ・34番の二曲屏風一双 十六羅漢図画賛 左から右
 ・35番の二曲屏風一双 十六羅漢図画賛 左から右
 の描かれた16羅漢図はみごとだ。
 ほかにも数々の書と墨絵が並ぶ。
・「中国西安市・興教寺奉納大瓦対展」(新潟市一番堀・りゅーとぴあ) 
 新潟市在住の延命寺住職兼刻字作家薄田東仙さんが、玄奘三蔵法師の遺骨が眠る
 中国西安市興教寺から依頼を受けて、約一年ががりで高さ3.5mに及ぶ 瓦対8点と
 大扁額を制作した。
 瓦追とは、中国の寺の入口に左右一対で掲げられ、建物の由来などを表す細長い
 板のことで、日本では聯(れん)と呼ばれる。
 今回制作された8点は興教寺の「大殿」「臥佛殿」「蔵経樓」「三蔵記念館」の4つの
 建物に設置される。
 会場の大柱の4面に各二枚ずる計8枚が掲げられている。
 黒塗りの板の中の金箔の文字が輝きを増す。
 白根に勤務したことがあり新飯田には何回も足を運んだが、円通庵や有願和尚のことは
 何も知らなかった。
今年は良寛さんの生誕250周年。
終焉の地和島村(現長岡市)では、生誕250周年記念を計画中。

興教寺に奉納される大瓦対を見る (イラストを模写)