からくり人形の魅力に取り付かれた男

kanazu362008-04-24

からくり人形の魅力に取り付かれ、独学でからくり人形を作る男が
白根市大郷にいる。
男の名は日根之和(昭和17年生・65)。
4月2日の新聞と4月15日のテレビで紹介された。
からくり人形の魅力に取り付かれて25年。
「機巧図彙(からくりずい)」を基に独学でこれまでに45点を製作した。
日根さんは「からくり人形」と「人形の頭「と「衣装の着物」を一人で作る。
1994年から旧白根市大郷に「越後大郷からくり館」を開設している。
無料の展示館で作品を公開している。
越後大郷からくり館と書かれた玄関を入ると正面に、2003年ハンズ・フレッシュアイ賞の
受賞作品「短剣投げ唐子人形」と名古屋万博に出品した「那須与一の強弓」の
からくり人形が飾られている。
4月18日、越後大郷からくり館を訪ね日根之和さんから「弓射ち童子」「五段返り人形」
「品玉人形」の説明と「がらからくり儀右衛門」や「からくり半蔵」の話を聞いた。
・からくり儀右衛門こと田中久重
 九州久留米出身・1799年(寛政11)から1799年(明治14)。
 幼児から発明の才能があり「からくり義右衛門」とも呼ばれた。
 万年時計・亀の盃運び・弓曳き童子のからくり人形は高い評価を得た。
 弓曳童子で、矢台に置かれた4本の矢を次々と取り連射する。
 4回のうち1回は的を外すように作られ、能面効果で作られた顔で、的に当たったときは
 満足げに、外したときは悔しげな表情に見えるようになっている。
 明治8年に東京で今の東芝の基となった田中製作所を設立した。
・からくり半蔵こと細川半蔵
 土佐藩出身で、大工・建築技術を学び、江戸、京都に遊学し暦学・儒学を修めた。
 京都で、写天儀?、行程儀(万歩計)を製作したという。
 1796年(寛政8)からくり工学書ともいわれ、世界に誇る「機巧圖彙」首・ 上・下三巻を
 著わした。
 機巧圖彙の中で9種類のからくりを絶賛したいる。
・日根之和さんが独学で製作の3体を見る
 ・弓射ち童子(弓曳き童子
  幕末に作られた弓曳童子は、トヨタ自動車が所蔵する。
  矢台に置かれた4本の矢を次々と取り連射する。
  4回のうち1回は的を外すように作られ、能面効果で作られた顔で、的に当たったときは
  満足げに、外したときは悔しげな表情に見えるように顔の動きに工夫が。
  「機巧図彙」を基に独学で弓曳き童子製作した。
  私は「弓曳き童子」ではなく「弓射ち童子」と呼ぶ。
  箱を取り中の構造を見せてくれた。
  4本の矢が50センチくらい離れた的をめがけ連射する。
  童子の顔の動きがなんともいえない。
 ・五段返り人形
  普通は、段返り人形と呼びますが、私は五段したので五段返り人形と呼ぶ。
  人形が後ろ返りしながら五段を下りる。
  衣装を脱いだ素肌の人形を見せてもらった。
  胴体の中に水銀が入っており水銀の移動で人形が後ろ返りする。
  最近は、水銀は有毒といわれ水銀に代わり鉛球が使われている。
 ・品玉人形
  人形が箱のふたを開けると中から次々と違う花が出てくる。
  花は黄・白・赤・ピンクの4種類の花。
  日根さんは、品玉人形はカムを用いたものと、江戸時代の人が改良したものの2種類を
  製作した。
  2種類の品玉人形を動かしながら、構造の違いを説明。
  西洋の人が江戸時代の人が改良した品玉人形を見て日本人の技のすばらしさに
  驚かされたと。
個人的な考えだが、弓射ち童子はデジタルで五段返り人形はアナログだと思う。
からくり人形作りは感とセンスの戦い。
約2時間の会話の中に日根さんの夢が凝縮されていた。
からくり人形との出合いは、1982年ころ新潟県立自然科学館で開催された、江戸時代の
段返り人形を見たことに始まる。
からくり人形の魅力に取り付かれ、江戸時代に出版された機巧図彙を基に作品を製作した。
子どものころから工作が好きで仲間からは「工作少年」と呼ばれた。
今は、70センチの人形が高さ2mの装置をうんていのようにぶらさがって渡る新作に
取り組んでいる。
人生いろいろ。
「からくり」を作る喜び、動かす喜び、見せる喜び。
好きなことに没頭できる人は幸せ。

夢を語る (写真を模写)